こんにちは。
先日、ある記事がネットで話題になりました。それは「混雑時にぽっかり空いている優先席」についての話です。つまりは、車内がめっちゃ混雑しているのに、優先席に誰も座ってないやんけ!といった状況についての議論です。
混雑時にぽっかり空いている「優先席」…なぜ座らない?ネット上で議論に(FNN PRIME) - Yahoo!ニュース
皆さんはそのような状況になっているのを見たことがありますか?僕は時々、電車でそういった光景を目にします。満員電車の中、目の前に空いている席があるにも関わらず、あえて立っているのです。
そういう状況を目にすると「混雑しているんだから、座ってくれよ!」と思う方も多くいるのではないでしょうか。僕もそう思うことがあります。しかし、その状況で優先席に座ろうとしない人の気持ちも分かります。
というより、僕自身もその状況になったら確実に座らない派ですね。座った方が良いと思っていても、なかなかそうすることができない理由があるのです。
優先席に座りたくない理由
たとえ車内が混雑していても、優先席に座りたくない理由はいくつかあると思います。まず一つには、周りからの目線です。僕は現在大学生で、誰が見てもバリバリの若者です。そんな人が優先席に座っていると、それを良しとしない目で見る人は少なからずいます。
僕自身も、優先席に堂々と若者が座っているのを見ると「む…!」といった感情が少し湧き出てきます。その若者が、お年寄りに席を譲る意志のある良心的な人物だったとしても、実際に譲る瞬間を見るまではモヤモヤしてしまうのです。
もちろん僕自身もお年寄りに席を譲る意志はあるのですが、やはり、そういったチャンスもなくただ優先席に座っているだけになってしまうと、「マナーの欠けた今時の若者」といった目線で見られてしまう可能性があります。
二つ目の理由としては、席を譲るためのコミュニケーションが恥ずかしいという点があります。これは優先席に関わらずの話ですが、そもそも自分の座っていた席を「どうぞ!」と見ず知らずの方に譲るのって、ハードルが高くないですか?
1vs1のコミュニケーションで完結するのならまだ良いのですが、電車という静かな空間でなおかつ大勢の人がいる状況です。確実に注目を浴びることになります。いくら正しく親切なこととはいえ、人前で注目を浴びるのは避けたいのです。
そういった譲るためのコミュニケーションの面倒さを考えると、それなら初めから立ってた方がいいじゃん!という結論に至るのです。
優先席は本当に必要か
そもそも、優先席というものは本当に必要なのでしょうか。もちろん、優先席が設けられている趣旨には共感できます。お年寄りや身体の不自由な方への配慮ですよね。ですが、それが効果的なのかどうかというとまた話は変わってきます。
優先席があることによって、逆に車内の混雑を招くような事態になってしまったり、余計な気を遣わなければならなかったり、あるいは“法律で決められていないから”と決して優先席を譲ろうとしない胸糞悪い人間なども見ることになってしまいます。
本当に理想的なのは、優先席がなくとも誰もが自発的に席を譲りあえるような社会だと僕は思っています。人のモラルや優しさといった部分に委ねるべきところを、変に企業や業界が押し付けてしまうのは違う気がします。
優先席がなくとも、お年寄りや身体の不自由な方を見かけたら席を譲るのがごく当たり前な社会こそが、本来あるべき立派な社会です。そして、この社会は、それができない人たちが大多数ではないと僕は思います。
多くの人は、自分が座る目の前にお年寄りや身体の不自由な方が来たら、どこかそのまま座り続けることに居心地の悪さを感じる人がほとんどなのではないでしょうか。というより、まともな道徳心を身に付けているのであれば、普通はそう感じるはずです。
お年寄りを前にして席を譲りたくても譲れない人、また、譲るためのコミュニケーションを取りたくないから座らずに立っている人、僕を含めそういった人たちは、「特別なことをやる恥ずかしさ」が心の底にあるのです。
要するに、わざわざ「優先席」という席を設け、席を譲る行為を特別なことにするのではなく、譲ることをごく当たり前で当然なことにすれば、そのことに対して恥ずかしさを抱く人も少なくなり、結果より良い社会が実現されるのではないでしょうか。
まとめ
席を譲るというプロセスには、特別なことをしているという恥ずかしさが伴います。それによって、席を譲ること、優先席に座ることをためらう人が出てくるのです。
優先席というものを意識しなくとも、人に席を譲ることがごく当たり前の社会こそが、私たちが目指すべき社会なのかもしれません。
皆さんは、優先席についてどのような意見を持っていますか?
最後まで見てくれてありがとうございます。