こんにちは。
世界の国々の間に数多くの歴史問題があるというのは、日本の近隣諸国も例外ではありません。お互いがそれぞれ異なる主張を展開し、どちらが正しいかで揉めに揉めています。
何年何十年経とうがその“正解”争いのほとんどが解決へ向かうことはありません。むしろ対立は激化し、問題はこじれていきます。
誰が何と言おうと、歴史の真実は一つのはずです。それなのになぜ、世界の国々の国家間には数多くの歴史問題が存在するのでしょうか。
その原因は、事実と主観の差にあります。
人は物事(事実)を理解するときに、ある程度の主観が入りこみます。歴史もこれと同じメカニズムで、人が歴史(事実)を理解するときには主観が入りこみます。
主観を一切入れずに事実だけを淡々と吸収することは、なかなか難しいことです。
例えば歴史の授業で「○○国が××人を1000万人虐殺しました」という歴史(事実)を学んだ時に、「○○国はヒドい国だ」「××人が可哀想」と少しでも考えた時点で、あなたの歴史認識には主観が入っていることになります。
他の教科、例えば理科の「水は100℃で沸騰する」や数学の「3!=6」といった知識は主観も何もありません。漠然とした事実ですよね。
理系教科などはこの世界の不変の真理を学んでいる訳で、そこに主観はありません。一方「歴史」は、言い換えれば人間ドラマの集合体のようなものですので、主観が入らないことなど逆に不可能です。
主観は人それぞれ千差万別なので、当然対立した意見が現れてきます。そして、歴史とは基本的に国家が国民に教育するものです。個人個人ですら認識は十人十色です。当然、国家間にも違いが生じます。それこそが、歴史問題が生まれるキッカケなのです。
問題を解決するには
主観や価値観については、どうしても意見がぶつかってしまうのは避けられません。そのことを踏まえて、少しでも相手のことを尊重しようとすれば、世界はより良い方法に向かうのではないでしょうか。
対立したところで、誰も何も得しませんからね。後は、北朝鮮のようにそもそも歴史を主観たっぷりで教えている国をどうにかしないといけませんね。これからの世界に期待です。
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