こんにちは。
人にはそれぞれ異なる価値観を持っています。
価値観とは簡単言うと “何を大切に思っているか” の違いです。
世の中には数え切れないほどの物や事(物事)があります。そしてその一つ一つに価値があります。その価値は個人の尺度によって変わります。
つまり、全く価値観が同じ人間というのは存在しないのです。どんなに仲の良い親友の間柄でも価値観の違いは存在します。180度反対の価値観を持ち合わせていることもあります。
僕も、様々な人と価値観の違いを経験してきました。もちろん、仲の良い友人とも、多くの価値観の違いがあります。
そこで今回は、僕が友達との間に生じた、印象深い3つの価値観の違いを紹介していこうと思います。
①名前の呼び方
苗字で読んだり、ファーストネームで読んだり、ニックネームで呼び合ったり、さん付けだったり、お前、だったりと、人の名前の呼び方って色々ありますよね。
僕のある友達(女性)はこれを非常に重要視しています。彼女にとっては、仲の良い人同士ではニックネームで呼ぶことが欠かせないのです。
そして断然、下の名前>苗字 なのです。苗字で呼ぶとよそよそしい。下の名前で呼ぶことが親密な関係の上では大切なのです。
一方僕は、名前の呼び方はほとんど気にしません。
下の名前で呼び合うことが親密であるというのは勿論理解できます。初対面同士なのに下の名前で呼び合うというのは、絶対におかしいですものね。
下の名前で呼び合うことが友達同士の特権であることは確かです。
けれど、僕が友達を呼ぶときにはそのようなことは一切考えていません。ほとんどの人が苗字です。あだ名で呼ぶのは、単純にそれがその人にしっくりくるからです。
その人が周りに呼ばれているあだ名が僕的にしっくりしなければ、僕はなかなかそのあだ名では呼べません。僕が友達に呼ばれるときも、別に下の名前とかニックネームで呼ばれることを求めてはいません。むしろ、僕は自分の苗字が好きなので苗字で呼ばれた方がしっくりきます。
以上のように、僕と彼女は全く異なる価値観を持っていますね。彼女は僕のことを常にニックネームで呼びます。僕もいつもは彼女をニックネームで呼ぶのですが、たまに気分で、苗字+さん付けで呼びます。
彼女はしっかりとした性格で身長も高いので、僕的には「○○(苗字)さん」と呼ぶのが一番しっくりくるのです。僕がそう呼ぶと彼女はいつも「やめて(怒)」とキレてくるのです笑
②LINEの“友達”
皆さんはLINEに何人の“友達”がいますか。僕は250人ほどいるのですが、これを減らしたくて減らしたくてしょうがないと思っています。
なぜなら、僕がLINEで頻繁にやり取りをする人は、せいぜい15人くらいだからです。他の235人は、ただ連絡先を交換しているだけの状態です。
僕はLINEを始めた当初は、知り合いかも、と表示された人はとにかく全員友達に登録していました。たいして仲良くない人も皆友達に追加していました。そういうものだと思っていたからです。
そうしたことを、今になってとても後悔しています。もういっそ、LINEを削除してやり直そうとまで思っています。本気で。
僕は、LINEの“友達”は本当に連絡をとる人だけで良いと思っています。理想は20人ほどです。“友達”が本当に親しい数人だけだったら、自分の顔写真をプロフィールの画像にしたりしても全然抵抗がありません。名前が本名でも全く気にしなくて済みます。
僕にとってLINEは、砦(自室)のようなものだと思っています。なるべくよそ者を入れたくない、親しい人だけの大切な場所として留めたいのです。
“友達”が多くなればなるほど、自由度が狭くなっていくし、その場所の価値も下がっていくのです。
一方、僕とは真反対の価値観を持っている友人が居ます。彼にとってLINEの“友達”は、多ければ多いほど良いのです。
勿論、そういう考えを持つ人の気持ちも分かります。連絡が取れる人が多いのは便利だし非常に役に立ちます。人脈が多いと何かと良いこともたくさんありますしね。
これは極端な例かもしれませんが、LINEのQRLをネットの掲示板に貼っている友達も居ます。あるゲームで、協力してくれる仲間を募るためです。彼には3000人ほどの“友達”が居ますが、ほとんどが会ったこともない人のようです。
大学のサークルの新歓でも、何十人もの新入生とLINEを交換する人や、LINEのQRLをチラシに貼っている人も居ます。いずれも、僕にとっては卒倒ものです。
➂服やブランド
人はみな、様々な服やブランド物を身にまとっていますよね。服やブランド物はその人の個性を表します。
そんな服においても、僕と友達で180度異なる価値観を持ち合わせるケースがあります。
僕は、服なんて安物で良いと思っていて、時計やネックレスなどのブランド物は一切付けない派です。靴も機能性重視で、見た目はどうでもよいです。
一方僕の大学の友達には、服はしっかりしたものを着るべきだし、時計は数万円するものを付けた方がいいという価値観の人が居ます。
どちらも “服が個性を表す” という考えは同じです。でも、それに対する振る舞い方が全く違うのです。
その友達は、初めて会う人を判断するには、やっぱり服や身に着けている物が重要になる、最低限のマナーでもある。なのである程度しっかりとした服装をするべき、という考えを持っています。
ブランド物も、現実問題惹かれる人が多いわけで、やはり高いものを身に着けているとメリットが多くあるとのことです。
一方僕は、ブランド物を身に着けるという行為が、極端な話 “見栄を張っている庶民” か “見栄っ張りな金持ち” のどちらかだと思っています笑
時間を知るのにうん十万円をはらう必要はありませんし、ネックレスや指輪にしろ、安くてオシャレなものはいくらでもあります。
つまり自分の中では、財力があるにしろないにしろブランド品を身にまとっている人は見栄っ張りだ、という方程式ができてしまっているのです。
服に関しては、僕は、他人に見せるものというよりは自己満足のものだと考えています。自分がいいと思えば何でもいい。一定期間着ていて愛着が沸いた服なら、安物だろうが古くなろうがずっと着続けます。
まとめ
価値観の違いがあることは、決して悪いことではありません。悪いのは、価値観の違いを許せない心です。
人は十人十色、様々な性格や考えを持っています。なので、むしろ違いを尊重しあうことが重要なのです。
それに、価値観の違う人と話すことはとっても刺激になるし面白いです。皆さんも、自分の持つ価値観や他人の持つ価値観を大切にしましょう!
最後まで読んでくれてありがとうございます。