人生に地図はない

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人生に地図はありません。どんなにブレようが道を外そうがそれはあなたの人生です。

今の自分の価値観を形成した衝撃的な言葉3選

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こんにちは。

 

 

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皆さんには、小さい頃に周りの人から何気なく聞いて、大人になった今でも忘れられない言葉はありますか?

 

昔からずっと忘れられないということは、その言葉が、自分自身の考え方や価値観にとって非常にインパクトのあるものだったということです。

 

そんな僕にも、小さい頃に周りの人から聞いて、大人になった今でも深く記憶に残り続ける言葉が幾つかあります。そして、それらは僕の現在の人格や価値観に多大な影響を与えています。

 

そこで今回は、僕が今の自分の価値観を形成したと感じる言葉を3つまとめてみました。よろしければご覧ください!

 

 

目次

 

 

先生の発言(幼稚園時代)

 

それは僕がまだ5歳児だった頃、幼稚園に通っていた時の話です。5歳当時の僕は幼稚園の年長クラスに所属しており、僕のクラスには女性の先生の方が担任としてついていました。その方をS先生とします。

 

S先生は、今思うとまだ経験の浅い新任教師だったような気がします。クラスに指示したことを撤回して直後に別の指示を下したり、先週と今週とで言っていたことが違っていたり、なぜか授業が突然無くなったりしたのを覚えています。

 

当時幼稚園児だった僕は、先生がミスをするなんてあり得ないことだと考えていました。なぜなら「先生」は大人で、偉くて、クラスで絶対的な存在だったからです。しかし、ある日の先生の発言で僕は衝撃を受けました。

 

ある日、前後の文脈は忘れてしまったのですが、S先生はクラスの皆の前で泣きだしました。“先生が泣く”という異常事態に、クラスの空気は固まっていました。僕自身も、何が起きたのかわけが分かりませんでした。

 

そして直ぐに別の先生(M先生)がやってきて、S先生をクラスから連れ出していきました。その後M先生が僕らのクラスに戻ってきて、こう言いました。

 

「先生だって人間です。間違うこともありますし、失敗することもあります。」

 

本当はもっと色々と言っていてほとんど忘れてしまったのですが、上の言葉だけは今でも明確に覚えています。当時、「先生」と言えば“絶対的で間違わない存在”だと思っていた僕は、その言葉に衝撃を覚えたのです。

 

それ以降、僕は、周りの先生やどんな立場の人も、みな同じ人間で、誰もが間違うこともあるということをよく考えるようになりました。

 

 

母親の発言(小学校低学年時)

 

小さい頃から僕は、世界の地理とか国といったものに興味がありました。小学校に入学した時には、世界中の国の国旗が描かれた本や、世界地図の本を買ってもらいました。

 

それらの本を見て僕は、世界中の国を少しずつ見て覚えていこうと思いました。そこで、我が国日本のすぐ近くの国から見ていくと、1つだけおかしな国があることに気がつきました。その国は、長い漢字の国名の後に、カッコで括られた別の漢字の国名が書いてあるのです。

 

当時の僕は漢字が全然読めなかったので、振り仮名を見て読みました。

 

「ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく、かっこ、きたちょうせん」

 

やたらと長く意味の分からない国名で、さらにカッコで別の名前が振ってあることに、僕は違和感を覚えました。なぜこの国はこんなに名前が長いんだろう。なぜこの国はカッコで別の国名が書かれているのだろう。

 

疑問に感じた僕は、親なら知っているだろう!と思い、母親にその理由を尋ねてみました。すると、母親はこう返してきました。

 

「その国は、国名で嘘をついているんだよ。国民が主人公って言っているけど、実際はそうじゃないんだよ」

 

その言葉を聞いた僕は、雷に打たれたぐらいの衝撃を覚えました。国が嘘をつくとはどういうことなんだ…?と。

 

当時の僕は、国というものは「まとも」なものであるという考えを漠然と子どもながらに抱いていました。なぜなら「国」は、地方行政の最高単位であって、非常に大きな人の集団であるからです。

 

そんな大きな集団であり、組織であり、重要なものであるはずの「国」が“国名で嘘をつく”というのは、当時の僕には信じられなかったのです。その時から僕は「国」とか「社会」というものに益々興味を持つようになったのです。

 

 

友達の発言(小学校高学年時)

 

今から10年以上前、僕が小学校高学年の頃、当時の日本では“2016年度の夏季オリンピック・パラリンピック”を東京に誘致しようという動きが活発に繰り広げられていました。

 

僕は東京都民ということもあって、この運動にはとにかく大賛成でした。自分の住む街で、自分が生きている間に、世界的な大イベントが行われるということに、ものすごい魅力を感じていたからです。

 

そして、同じ東京に住む小学校のクラスの友達は、当然みんなオリンピック誘致に大賛成であると僕は思い込んでいました。しかし、ある一人の友達は、予想外すぎる回答をしました。

 

「俺はオリンピック誘致には反対だな。立ち退きで追い出される住民が可哀想だよ。」

 

その友人は、オリンピック関連施設建設の際に立ち退きで家を追い出される人の目線に立ち、オリンピックを誘致することを反対していたわけです。

 

東京オリンピック誘致に当たって、実際に立ち退きさせられる人が出る予定だったのかは分かりませんが、小学生ながらにそうした目線で物事を見られるのは素晴らしいことだと思いました。

 

僕はこの時の彼の発言によって、物事の見方や捉え方は人によって全然違っくることもあるという、当たり前のことを強く認識させられました。

 

 

この記事のまとめ

 

実際振り返ってみると、それらの発言はそれほど大したことを言っているようには聞こえないかもしれませんが、まだ世の中の事を知らない当時の僕にとっては、非常にインパクトのある言葉でした。

 

ふとした言葉は、発言をした人にとっては何でもない事だったように思えても、その発言を聞いた側にとっては決して忘れられない、今後の価値観を決めてしまうような重要なものになるかもしれないのです。

 

実際僕も、今回紹介したそれらの発言から、大人になった今の自分の価値観が形成されたのだと自覚しています。小さい頃、周りの人から受ける影響は計り知れないんだなということが実感できました。

 

皆さんには、何か小さい頃に強く影響を受けた言葉がありますでしょうか?

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。