人生に地図はない

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植松死刑囚の妻がAbemaTV出演──死刑執行に重大な“影響”があるかもしれない理由と、社会が向き合うべき課題とは。

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こんにちは。雑記ブログ「人生に地図はない」を運営しているブロガーのYS(ワイエス)です。

 

今回は、ABEMA Primeで登場し話題になっている「植松聖死刑囚と結婚した女性」について、自分なりの意見をお話ししたいと思います。

 

植松聖死刑囚と獄中結婚した女性が出演。

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まず初めに、彼女が植松死刑囚と結婚するという選択自体について、私は否定するつもりは全くありません。結婚は個人の自由であり、どんな相手を選ぼうとそれはその人の人生だからです。

 

ただ、僕が個人的に問題だと感じているのは「ABEMA」という大勢の人が視聴するメディアが、彼女を顔出し・実名で出演させ、その存在と考え方を広く世間に発信した点です。

 

もちろん、さまざまな意見があるでしょう。ただ、私が一番懸念しているのは、「この番組出演によって、植松死刑囚の死刑執行が遅れる可能性が生じたのではないか?」という点です。

 

植松聖(うえまつ さとし)死刑囚とは?

 • 事件概要:2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者支援施設「津久井やまゆり園」に侵入し、利用者19名を殺害、26名に重軽傷を負わせた大量殺人事件を起こした。犯行動機は「知的障害者はいらない」とする極端な優生思想によるものとされる。
 • 経歴と思想:当時26歳の元施設職員。社会的に隔離されている障害者を軽視・排除すべきとした独自の思想を展開し、実行に至った 。
 • 司法的経緯:2020年3月、横浜地裁の裁判員裁判で死刑判決を受け控訴取り下げにより確定。現在、東京拘置所で死刑執行を待っている 。

 

植松翼(うえまつ つばさ)さんとは?

 • 獄中結婚:植松死刑囚とは2024年12月に獄中結婚。2025年6月にABEMA Primeに顔出し出演し、妻としての立場や考え方を明かした。
 • 人物背景:年齢は現在26歳(2025年現在)。15歳の時に経験した知的障害者による性被害によって解離性健忘を発症し、その後は自身も障害者として生活している。
 • 動機と経緯:「彼の思想は間違いだが、自分に響く部分があると感じた」「過去のトラウマと向き合いたくて、獄中結婚に至った」と語っている。
 • 社会的反響:ABEMA出演後、「美しい」「清楚」といった肯定的な声がある一方で、獄中結婚という特殊な立場への批判や疑問も強く巻き起こっている。

 

死刑執行に影響はあるのか?

彼女は番組の中で、「障害と長く向き合うつもりはなく、25歳までに自死を考えていた」と語っています。そして、植松死刑囚との出会いがその考えを変えるきっかけになったとも話しています。

 

ここからはあくまで私の推測になりますが――もし植松死刑囚の刑が執行されたら、彼女はその後を追ってしまう可能性があるのではないか、と感じています。映像に映る彼女は、とても誠実で、しっかりとした考え方を持っていて、僕なんかよりもとても立派な人でしたが、少し考えてみて下さい。

 

本名で、顔出しで、ものすごい批判を浴びる覚悟の上でテレビ出演をしている彼女。そして過去には、自身が抱えている障害を理由に自死を長期間考えていた。ある意味でもはや何かが「吹っ切れて」いるとも捉えられないでしょうか。

 

法務大臣の立場で考えると…

ここで、少し想像をしてみてください。もし自分が法務大臣で、「死刑執行のサイン」をする立場にいたとします。当然、死刑囚本人だけでなく、その周囲の人間関係もある程度は把握するはずです。そしてこう考えるかもしれません。

 

「もし今ここでサインをしたら、植松死刑囚は死ぬ。そして、彼の妻も後を追う可能性がある……」もちろん、法務大臣という立場の重さから、私情を挟むべきではないのは承知の上です。ですが、最終的にサインをするのも“人間”です。

 

実際、日本の死刑制度の現状は曖昧な部分も多く、すぐに執行される死刑囚もいれば、何十年も執行されないままの人もいます。だからこそ、あえて今は植松死刑囚の執行を見送ろうと、その時の法務大臣が考える可能性はゼロではないと思うのです。

 

 

まとめ:彼女の出演がもたらすかもしれない影響

要するに私が言いたいのは、彼女が番組に出演し、「過去に自死すら考えていた自分が、今は植松死刑囚を大切な存在として生きている」と明かしたことが、結果的に死刑制度の運用に影響を与える可能性がある、ということです。

 

もちろん、彼女自身にそのような意図はなかったでしょう。事件に向き合い、真剣に社会に訴えかけようとしている姿勢は伝わってきました。それでも、こうして彼女の存在が大きくクローズアップされることによって、「植松死刑囚の死刑執行」という国家的な判断にも、間接的に影響を与えてしまう――そんな可能性もあるのではないかと、私は思います。

 

法務大臣も、究極的には“人間”です。

皆さんはどう思いますか?

 

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