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言語は文化にどのような影響を与えているか~身体認知の観点からの考察~

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こんにちは。

 

今回は、言語というものが人間の認知や文化にどのような影響を与えているのかについての考察をまとめてみました。

 

 

文化としての言語

文化人類学を学ぶにおいて、「文化」は非常に重要な概念となります。文化には「後天的・歴史的に形成された外面的および内面的な生活設計の体系であり、集団の全員または特定のメンバーにより共有されるもの」などといった定義があります。文化とは実に様々なものを指します。私たちが日常使っている「言葉」も、そんな文化の一部です。

 

「言葉」は普段あまり意識することはないと思いますが、文化について考える上でとても重要な要素となります。何故なら、人間が思考する際には必ず言葉が必要ですし、言葉によって世界のものを切り分けているからです。そして、言葉自体、日本語、中国語、英語、スペイン語、また、限られた少数民族だけが使っている言葉など、世界中にいくつも存在しています。

 

世界の言語数

では、世界に言語はいくつあると思いますか?実は正確な数は分かっていないのですが、3,000と言う人もいれば、10,000とも言う人もいます。複数の学者らの平均をとると、だいたい6,000前後と言われています。

 

ある似たもの同士の言語を方言と捉えるか、はたまた別の言語とみるのかについて明確な基準というものが無いため、非常に曖昧な結果となっているのです。しかし、世界の国家の数がだいたい190なので、十分に多いと言えます。では、異なる言語を話す人と誤解のないコミュニケーションをとることはできるのでしょうか。

 

 

漢字文化圏の言語

言語は本当に様々なものがあり、なかには、我々が話す日本語に似ているものがあります。似ている言語としては、まず中国語が挙げられます。日本語で広く使われている漢字は中国から伝わったものなので、文字だけを見ると、中国語と日本語は非常に似ています。しかし文法はからに異なっていたりします。

 

韓国語は、文字に関しては日本語で使われているものとは異なっていますが、文法や単語がかなり似ている言語です。例えば、「감사함니다」という単語があります。これはカムサハムニダと書いてあります。これは日本語で「ありがとう」という意味です。実はこの「カムサハムニダ」の「カムサ」は本来漢字で、「感謝」と書きます。これだと意味が分かりますよね。

 

韓国では1970年頃から漢字廃止政策が始まり、文字はハングル中心で書くようになってしまったので、今ではほとんど漢字が使われていませんが、実は、人の名前や基本的な単語のほとんどが漢字語なので、日本語と非常に似ているわけです。ちなみに北朝鮮の方は、漢字を公式に完全撤廃しているので、一切使われていません。

 

ベトナム語も、あまり馴染みは無いかもしれませんが、実は日本語と似ています。ベトナム語で「ありがとう」は「cám ơn(カム・オン)」ですが、これも元来漢字で、「感・恩」こう書きます。

 

このように、日本語と似ている言語はいくつかあります。逆に、英語などは、文字も違うし文法も違うしルーツも違うしで、日本語とは大きく異なっている言語の代表例といえます。

 

 

 

ここまでは言語を、単純に文字が似ているかどうか、単語や文法が似ているかどうか、という点で見てきましたが、実は比較できる点はそれだけではありません。では具体例を見ていきましょう。

 

 

身体部位語彙のちがい①

言葉というものは、いろいろなものを切り取って表現する役割を持っています。そして、その切り取り方が言語によって異なっている場合があります。

 

では「身体語彙」を具体例として見ていきます。そもそも身体は「頭」や「足」などというように、必ず言葉で切り分けられています。しかし、この切り分け方は、言語によってずいぶん違いがあることが分かっています。

 

例えば「手」についてです。英語とアラワク語とパパゴ語を見てみましょう。

 

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図にあるように、英語では【arm ・ hand ・ fingers】と区別しています。日本語も英語と同じように【腕・手・指】と分けています。

 

しかし、アラワク語は少し異なっています。英語で言う【arm】という概念の部分が、【daduna・dakabo】という2つの概念に切り分けられているのです。そして英語で言う【hand】の部分は【dakabo】の一部となっています。

 

パパゴ語では2つに区分されていて、英語で言う【arm・hand】が【nowi】という一つの概念として区切られています。手の区切り方一つでも言語によってかなり違っているということが分かります。

 

 

身体部位語彙のちがい②

次は、さらに広範囲の事象を表現する際に用いられる身体部位語彙を見ていきます。パプアニューギニアのトロブリアンド諸島で話されているキリヴィラ語は、身体と心の深い結びつきを示すことが多いと、有名な人類学者マリノフスキーは述べています。

 

では突然ですが質問です。「心」ってどこにあると思いますか?「記憶」が溜められている場所はどこですか?あなたが日本語話者である場合、「心」は心臓にあり、記憶は「脳みそ」にあるものだと考えたはずです。

 

ですが、トロブリアンド諸島の人々にとって「心」の存在場所は「のど」のあたりで、「記憶」が溜められている場所は「腹」の中なのです。

 

自分の持つ考えを伝えるには、音として外界に伝えなければなりません。そこで大切な役割を果たすのが「のど」です。「のど」から出る音を通して初めて人間は自分の感情や考えを相手に伝えることができるのです(トロブリアンド諸島では手話や書き言葉は用いません) 。

 

「のど」が使えず、発話できない住民は皆からひどく見下げられ、ほとんど人間扱いされないほどです。トロブリアンド諸島では「のど」がその人との知性と直結していると思われているのです。

 

以上のように、トロブリアンド諸島の「腹」や「のど」の持つ意味が、我々のもつ文化とはずいぶん異なるということが分かったと思います。人間が人間のどの身体部位をどういう意味に結び付けるかは、文化圏によってそれぞれ異なるということです。

 

 

動作表現のちがい

身体部位に関わる表現は名詞だけとは限りません。身体のどこに衣服をつけるのか、その動作表現を見てみると、やはり言語によって身体の区切り方に違いがあるということが分かります。

 

日本語では、身体の各部位に名前があるように、その部位を衣服で覆う動作にも各種の表現が用いられています。そして、日本語話者はこのことをほぼ無意識、無自覚で区別しています。

 

例えば、シャツで上半身を覆うときは「着る」といいます。ところが、帽子で頭を覆うときは「かぶる」といいます。そして、ズボンは「はく」といいます。このように、日本語は、どの部位に衣服をつけるかで動詞が変わっていきます。

 

さらに身に着けるものとして装飾具を含めれば、「ネックレスをつける」「指輪をはめる」「腕時計をする」「眼鏡をかける」「帯をしめる」など、膨大な数に膨れ上がります。

 

では他の言語も同様かというと、そうではありません。むしろ日本語のように、かなり細かく切り分けをしている言語は稀です。英語の場合は、シャツも帽子もズボンも靴も王冠もかつらも、身に着けるものならなんでもput on で済みます。英語では身体全体を一つのまとまりとして捉えているのです。

 

 

まとめ

私たちが当たり前に捉えている身の回りのもの、例えば身体部位なども、言語によってはその意味が違っていたりします。それらは必ずしも私たちの持つ意味と同じではなく、名詞の捉え方も、周りの文化によって、影響を受けているのです。

 

空間認知においても、それぞれの置かれた環境の違いで表現方法も大きく異なってきます。右や左といった基本的な概念すら、言語によって作り出された空間認知の一つで、すべての人にとって普遍的ではありません。このように、言語を調べることによって人々のモノの見方・捉え方は、文化と深い関わりをもつということが明らかになりました。

 

 

 考察

今回このテーマを調べることで、言葉というものは私たちのモノの見方や捉え方に大きな影響を与えているということを実感できました。一つの絵を説明するだけでも多くの表現方法が存在し、その数だけ異なる文化を発見・確認することができます。

 

文化と言語との間には、切っても切れない非常に密接な関係があります。目の前の見えているものが誰にだって同じように見えているわけではないのです

 

言語とは、私たちが捉えた情報をただ誰かに伝えたり書き記したりするためだけにある単なる「道具」などでは決してありません。誤解のないコミュニケーションをとるには、まずは、言語のそういった面を理解した上で、お互いの文化についてよく知ることが一番ではないでしょうか。

 

 

※今回の内容は、井上京子さんの『もし「右」や「左」がなかったら~言語人類学への招待~』(大修館書店,1998)という本の内容を一部まとめたものです。

 

良ければこちらの過去記事も合わせてご覧ください。

www.nomap-inlife.com

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。