人生に地図はない

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人生に地図はありません。どんなにブレようが道を外そうがそれはあなたの人生です。

3.11から10年。当時の状況と得られた教訓を振り返ってみた。

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こんばんは。 

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災から本日で10年となります。現在世界は新型コロナウイルスという新しい脅威に直面しており、10年前のきょう起きた大災害について思い出す機会も少しずつ減ってきてしまっているのが現状です。 

そこで今回は、10年目という節目の年ということもありまして、僕自身の個人的な体験を元に災害発生時の状況とそこから得られた教訓等についてまとめてみました。災害時に役立つ知識なども盛り込んでありますので、是非ご覧下さいませ。 

 

目次

 

地震発生当時どこで何をしていたか 

2011年3月11日、当時の僕は東京の中学校に通う中学二年生でした。5時限目の授業が終わり、下校のため友達と一緒にちょうど校門をくぐった瞬間でした。地面が少し揺れているような気がして僕は「地震かな?」と思いました。友達はまだ気がついていないようでした。 

しかし、ふと街中を見渡すと、大勢の人々が家から外の道路へと出てきており、電線が激しく波打っている光景が飛び込んできました。その異様な光景を目にしてから、ようやくいつもより強い地震が起きていると実感が湧きました。物が置いてあったり座っていることが多い室内と比べ、屋外にいると地震の強さが感じにくくなるのです。 

空間的に開けた安全な屋外にいたため、そこまで恐怖は感じませんでしたが、明らかにいつもより強くて長い地震が起きているという事だけは理解していました。数分に渡る揺れが収まった後、僕たちは慌てて学校に戻りました。上履きは地面に散乱し、教室の机や椅子はめちゃくちゃにシャッフルされ、図書室の本棚はほとんど倒され、学校の中は想像以上にパニック状態でした。 

 

衝撃を受けた校内放送 

慌てて学校に引き返した僕らは、先生の指導に従い、集団で校庭に避難することになりました。その時に流れていた校長先生による校内放送で、今回の地震が東北地方を震源とするものだと知りました。その放送を耳にして、僕は衝撃を受けました。 

机や本棚がめちゃくちゃに薙倒された校内を見るのは初めてでした。その状況や地震の強さからして、僕は「今回の地震は間違いなく東京が震源だ」と思っていたのです。あれだけ長くて強い地震だったにも関わらず、震源が遥か離れた東北沖というのは、中学生だった僕でも規格外の大地震であったということが理解できました。 

 

一斉送信メールに腹を立てる 

校庭に集合した僕らは、激しい余震が幾度となく襲う中、集団下校をすることとなりました。同じ方角の家同士で班を作り、学年関係なく、数十人でまとまって家路につきました。家に帰ると、母が焦った様子で電話をしていました。 

僕の母は東北地方出身で、母の姉をはじめとした親戚が大勢、東北地方に住んでいたのです。しかし、メールや電話は回線がパンク状態で、全く連絡が取れない状況にいたのです。多くの人が一斉に電話を使用しているのでしょう。回線がパンクしてしまうのは災害時にはよくある事です。 

僕も東北にいる親戚がとても心配でした。そんな中ふとケータイを見ると、何件かメールが受信されていました。見てみると、同じクラスの人がメールアドレスを知っている同学年全員に一斉送信で“心配のメール”を送っていたのです。それを受信した一部の人が、また全員に対して「大丈夫です」と返信をしたりしていました。 

東京は震源でもないし、そもそも学校で一旦集まっているので安否確認は取れています。東北に家族がいて、すぐにでも連絡を取りたいという人たちが大勢いるはずなのに、こんなタイミングでムダな一斉送信メールを送り合って通信に多大な負荷をかけている同級生には、当時本当に腹が立ちました。 

 

非日常のスタート 

3月11日の夜、帰宅困難者となっていた父親がいつもより数時間遅れて家に帰ってきました。家族揃って夕飯を取りましたが、その最中にも何度も大きな余震が起こりました。その日だけでも、体感できる地震が少なくとも十数回は発生していました。 

その日から数日間は、テレビを付けるとどの番組でも地震関連のニュースが取り上げられていました。地震だけでなく津波や原発など、本当に様々な事態が同時に発生しており、改めて今回の地震が歴史に残る大災害だと認識させられました。 

地震後の学校では授業中に何度も余震が発生し、その度にクラス全員で机の下に潜ってを繰り返しました。普段からの避難訓練が効力を発揮しているのか、先生が「地震!」と声を荒げると、僕を含めた教室にいる全生徒が素早く机の下に潜り込みます。この時のクラスの動作だけでは、一端の軍隊レベルの統率が取れていたと思います。避難訓練は非常に重要だと改めて感じました。 

 

一度は行くべき!福島第一原発20km圏内ツアー 

東日本大震災を実際に経験した2011年よりも、より地震の脅威を肌でリアルに感じた年があります。それは、NPO法人「野馬土」が運営する『福島第一原発20km圏内ツアー』に参加した2018年です。 

 

nomado.info

 

これはどういったツアーなのかというと、文字通り、車に乗って福島第一原発の20km圏内を散策するツアーとなります。僕の場合は家族の車を借りて現地に向かいました。近くのスーパーでガイドの方と合流し、放射線の線量計を助手席に乗せてそのまま原発20km圏内に向かいました。 

原発20km圏内は、2011年の災害発生時のまま時が止まっていました。道すがら現れるチェーン店やお店が全て放棄されている光景は、これまでに見たことのない異様な光景でした。 

普通の住宅街を走っていると、交差点に突如、物々しいバリケードが設置されている箇所がありました。その先は汚染による帰宅困難地域でした。何でもない普通の住宅街に突然現れる物々しい境界はとても生々しいものでした。 

その他にも、津波によって破壊しつくされた街並みを車で回ったりもしました。道中に沢山の野生動物にもすれ違いました。非常に貴重な経験でした。

 

↓福島第一原発20km圏内ツアー中の車窓より。津波の被害を受けた沿岸沿いの街。

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百聞は一見に如かずと昔から言われている通り、ニュースで聞いているのと実際に現地に行くのとは、天と地ほどの差があると理解しました。 

 

この記事の教訓・まとめ 

  • 地震が起きた際は電話やメールの回線がパンクします。本当に急を要する人達のために、大災害が起きた際には不要不急の連絡を取るのは控えましょう。 
  • 学校や会社で行われる避難訓練はとても大切です。自分自身の命を守るためにも、避難訓練には真剣に取り組みましょう。 
  • 百聞は一見に如かずです。もし余裕がありましたら、一度だけでも良いですので被災地を見学するツアーに参加してみましょう。 

 

日本ではおよそ10年に1回のペースで町ごと壊滅してしまうほどの災害が発生しています。それだけ災害の多い国です。精神面でも物資面でも、日ごろから準備をしておくのがとても重要となります。この記事をご覧になった皆さんが今後も安全に過ごせるよう、祈るばかりです。 

 

www.jice.or.jp

 

 

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