人生に地図はない

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「社会適合者」という超人は存在するのか 

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こんばんは。 

 

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自身や周りの人の多くが社会人となったことで、耳にする機会が急激に増えた単語があります。それが「社会不適合者」です。 

 

「私は社会不適合者だから…」「俺は社会不適合者かも…」とツイッターに書き込んだり話したりしている人を、社会人になってから本当に多く見かけるようになりました。 

 

社会に想像を絶するような理不尽が溢れ返っており、嫌な気持ちになるような出来事が沢山あります。僕自身も、自分が社会に適合できていないと思うことが多々あるので、「社会不適合者」という単語を口ずさむ人々の気持ちはよく分かります。 

 

しかし、ここである疑問が浮かび上がりました。それは、果たしてそもそも「社会適合者」というものが存在するのか、といった点です。

 

目次

 

「社会」とはどのような場所か

 

「社会適合者」という人物がどういったものなのかを分析するには、まず社会がどのような場所であるかを知ることが必要です。社会とは一般的に、団体や組織など、多くの人間が集団を形成し関わりを持つ場のことです。「社会に出る」「社会人になる」と言われることから分かるように、基本的には会社などの職場が身近な「社会」であると言えます。

 

会社は、そこに属する人がそれぞれ与えられた自分自身の役割をこなすことで支えられています。そうすることで、個々では到底実行することのできない大きな事業を動かすことができるのです。しかし、そのために会社は、様々な規則やルールを用いて、そこに属する人間の個としての行動を制限します。

 

勤務時間中に寝ることはできませんし、理不尽な目に遭いムカついたとしても、決して怒ってはいけません。当然と言われれば当然ですが、個人としての行動や感情を出してはいけないのです。会社は「法人」とも言うように、その組織そのものが1つの個人のような扱いだからです。

 

会社をはじめとした「社会」に属することで得られる恩恵は沢山ありますが、それと同時に、個人としての自身を抑圧しなければならないという葛藤が生じるのです。それが「社会」と呼ばれる場所の特徴であると言えます。

 

 

「社会適合者」とは

 

「社会」がどういった場所であるかは分かりました。それでは「社会適合者」とはどういった人なのかについて考えてみましょう。

 

「社会適合者」という言葉に含まれる「適合」とは、簡潔にいうと“ピッタリとジャストフィットする”といった意味です。「社会」は個人としての自分自身を抑圧しなければならない環境でした。つまり「社会適合者」とは“自分自身の感情や行動を押し殺しても平気でピンピンとしていられる人間”ということになります。

 

果たして、そのような人間は存在するのでしょうか。どこの組織に属しても、幾ら完璧に振る舞っていても、人には心があり、感情があります。感情を押し殺すということは、自分に嘘をつき続け、我慢するということになります。

 

実際には、ある程度自分の感情をコントロールして“社会に順応しようとしている人”は沢山いますが、“適合する”と言えるような人はほとんど居ないのが真実ではないでしょうか。

 

 

それでも「社会」で生きていくために

 

「周りの人のように振る舞うことができない。自分は社会不適合者だ。」と悩まれている方は安心してください。きっと周りの人も、平然と振る舞っているようで、結構つらいと感じていたり我慢していたりする人が多くいるはずです。

反対に、自分は大丈夫!と思っている人でも、じわじわと日々のストレスが蓄積されていて、気がついた時には限界寸前の状態に…という方もいるでしょう。

 

おそらく、この社会に属するほぼ全ての人が「社会不適合者」なのではないでしょうか。社会はそれほど厳しい場所なのです。しかし、僕は「社会」を否定的に捉えているわけではありません。社会が僕らにもたらしてきた恩恵は膨大ですし、社会に属することで安定した生活を得ることができます。

 

社会で“個”を抑制することに疲れた時は、その逆に、“個”を思いっきり出せる時間を確保することが重要であると思います。たとえば、気の合う友達と遊ぶことなどは、ありのままの自分でいられる最も良い方法の1つでしょう。

 

社会に出て、自分に嘘をつき続け、感情を押し殺していたとしても、決して“個”としての自分を見失わないように生きていきましょう。

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。