日本語には漢字、ひらがな、カタカナという3種類の文字があります。
漢字という表意文字に対して、ひらがなカタカナという2種類の表意文字があります。
僕ら日本語使用者はあんまり意識しないかもしれませんね。
しかしこれは世界的に見て非常に珍しいことなのです。
考えてみて下さい。
他に3種類もの文字を使用している言語はありますか?
そう簡単に思い浮かばないはずです。
韓国語も中国語もアラビア語も基本的に文字は1種類です。
英語やドイツ語などは、アルファベットの大文字と小文字があるので一応2種類と考えることもできます。
でもさすがに3種類もの文字を日常的に使っている言語は他にありません。
日本語はかなり独特な言語と言えるでしょう。
漢字は、日本語のメインとなる文字です。
あらゆる単語は漢字で表記されますし人の名前や地名もほとんど漢字で表されます。
同音異義語の区別にも漢字が一役買っています。よって漢字は日本語に欠かせない文字です。
ひらがなも重要な文字です。
「行く」「行こう」「行かない」など送り仮名を表記するのに必須です。
漢字の読み仮名をふるのにも使われますし、子どもが最小学習するのもひらがなです。
ひらがなは、漢字のサポート役として機能している文字です。
そしてカタカナです。
皆さんはご存知の通り、カタカナは外来語を用いるのに使われています。
コミュニケーションやワークブックなど、カタカナで書いてあればそれは外国の言葉だと直ぐに理解できます。
一目で「これは外来語だ」と認識することができるのです。
冷静に考えて、外来語を表記するための文字が用意されているって凄すぎませんか?
カタカナの存在は日本語を学び始めたばかりの外国人にとってとっても不思議で厄介な存在らしいです。
ひらがなを一生懸命覚えたのに、なぜもう1セット、全く同じ発音である文字を覚えなければならないのか。ひらがなだけでいいじゃん!
と感じるらしいです。ごもっともですね。
僕たちは、ひらがなカタカナを覚えたときにはそれが初めて学ぶ言語だったので、そういうものなんだなと受け入れ、疑問を持つようなことはなかったと思います。
他の言語話者からすると、確かに同じ発音の文字を2セット使うというのは奇妙ですよね。
でも、それはこう考えることもできます。
たしかに1種類(ひらがな)の文字だけでも万物を表記できる。
世界中の言語がそうであるように。
そこをあえて2種類(ひらがな、カタカナ)で表記しているのだと。
世界中の言語では1種類で事足りる。それをわざわざ2種類で表記する。
これは日本語が“2種類の表音文字がないと万物を表記することができない複雑で不便な欠陥言語”なのではなく、“2種類の表音文字で表すことでより分かりやすく表現することができる言語”であるということです。
考えてみて下さい。
もしも表音文字がひらがなだけだったら、格段に文章が読みにくくなります。
「ビジネスの基本はコミュニケーションである。」
「びじねすの基本はこみゅにけーしょんである。」
確かに、ひらがなだけでも日本語は成り立ちますね。でも、どっちが見やすいですかと聞かれたら圧倒的に上ですよね!
このように漢字+2種類の表音文字で表された日本語は、速読がしやすく非常に便利な言語なのです。
さらにカタカナにはもう一つ、面白い効果があります。
普段漢字で表記されるものを、あえてカタカナで書くと印象がガラリと変わるのです。
例えば「傷」と「キズ」です。
「僕は彼を傷つけた」
と書かれていたら、物理的に負傷を負わせたという感覚に近いですよね。一方、
「僕には癒えないキズがある」
と書かれていたら、どこか内面のようなニュアンスになりませんか?
漢字は表意文字ですので意味が前面に押し出されます。
ところが表音文字のカタカナにすることによって音だけが印象に残り、本来の意味が軽減されます。
このような繊細な表現ができるのは、カタカナを持つ日本語だけが成せる技です。
他にも
「遊園地」
は固い感じがしますよね。
「ゆうえんち」
は子供向けのような感じです。
「ユウエンチ」
だと、不気味な印象がありませんか?
遊という意味合いが薄れ、音だけが伝わります。それは何か得体のしれない場所のように感じます。
さらに
「淳久堂」⇒「ジュンク堂」
「伊藤洋華堂」⇒「イトーヨーカドー」
「松本清」⇒「マツモトキヨシ」
どうですか?ぜんっぜん印象変わりますよね!
外国人や宇宙人が喋る片言日本語のセリフにもカタカナが使われたりします。
このようにカタカナがあるおかげで日本語は非常に高度で繊細な表現を用いることができます。
私たちは素晴らしい言語を使っているのです。
皆さん、もっと日本語を愛しましょう!
最後までよんでくれてありがとうございます。