人生に地図はない

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マッチングアプリやSNSの出会いは恥ずべきものではない!アラサー男子が現代の恋愛観を語ってみみた

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こんにちは。雑記ブログ「人生に地図はない」を運営しているブロガーのYS(ワイエス)です。

 

最近ではマッチングアプリやSNSで出会った人と結婚をする人も増えてきましたが、ネットの記事や周りの人の意見などを見聞きしていると、どうやらそうしたネット媒体を通じて相手と知り合ったということに対して後ろめたいネガティブな気持ちを抱えている人も少なくないようです。

 

実際、下記のサイトを見てみたりすると、結婚式での馴れ初めエピソードはアプリのことには触れず、遠回しの言い方をして誤魔化したり、あるいは多少の嘘を付いて報告をしたりといった方のお話が多数取り上げられています。

 

そうした人の気持ちも分からなくはないですが、僕自身は、恋人・婚約者とマッチングアプリで出会ったということに対しては後ろめたい気持ちを感じる必要は無いと思いますし、むしろ誇るべきことだと考えています。今回の記事では僕がそう考える理由をまとめてみました。

 

目次

 

そもそもなぜネガティブな印象があるのか

 

「マッチングアプリで出会ったということは隠したい」という人は、そもそもなぜ隠したり誤魔化したりしたがるのでしょうか。それはネガティブな印象があるからです。では一体、マッチングアプリやSNSで相手と出会うことの何がネガティブ要素として作用しているのでしょうか。

 

それには複数の意見があると思いますが、多くは「ロマンチックさが足りない(運命的でない)から」というものです。たしかに「職場で同じチームになり意気投合し…」「大学のサークルで出会って惹かれていき…」といった馴れ初めに比べれば「アプリで繋がりました」はロマンチックさに欠けます。

 

僕の周りでも、現実での出会いにこだわりたいからアプリは使いたくない!という人も何人かいますし、アプリを使うのはまるで反則行為であるかのように捉えている人が多くいるのです。しかし、僕は逆にアプリを通じて出会うことはむしろ運命的であると考えています。

 

 

「アプリの出会いは運命的ではない」は間違い

 

マッチングアプリは出会いを人工的に作り出すサービスですし、そのための環境が随所まで整備されたサービスのため、そこで知り合った人は運命的な出会いとは呼べない、という理論は正しいのかもしれません。

 

ですが、僕はこう考えています。現代は、技術の蓄積・進歩によりこれまでの人類が全く使用することのできなかったテクノロジーを駆使し、本来すれ違いすらしなかったような“自分の生活圏外にいる人”と出会えるようになった奇跡の時代である、と。

 

そう考えると、むしろ自分の生活圏を飛び越えて知り合った相手の方が、運命的な出会い方をしていると解釈できるのではないでしょうか。人類の長い歴史の中で、そのようなアプリが開発されたのはここ数年の間の時代の話なのですから。

 

 

運命を待つのはすぐに辞めよう

 

前回の記事でもお話した通り、令和時代の今はマッチングアプリなどで出会うカップルが非常に多くなっています。そんな時代となりつつある今でも、中には自分の生活圏の中のみで出会いを求める恋愛原理主義的な考えを持つ方もいます。

 

これはある意味で非常に楽な選択であるとも言えます。マッチングアプリという新しい概念を覚えたり適合させたりする面倒くささもありませんし、いつまでも恋人が作れなければ「運命の人が見つからない」と言い訳をすることができるのですから。

 

しかし、否が応でも時代はどんどん流れていってしまいます。マッチングアプリなどで恋人を作るトレンドは今後ますます主流となっていくでしょう。アプリに苦手意識がある方も、勉強と思って一度インストールして使ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

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