こんにちは。
突然ですが、皆さんは「過去完了形」という単語を覚えていますか?おそらく、誰もが中学の頃の英語の授業で聞いたことがあるはずです。「had+pp」(ハドプラスピーピー)という形にするやつです。英語なんて忘れたという人も、これを聞けば思い出すのではないでしょうか。
過去完了形とは、英語で用いられる時制(過去や未来など)の一つで、過去のある時点を基準にして、それよりも前のことを表現する形式です。「完了」「経験」「継続」などの動作や状態を表します。
ある程度まじめに勉強をされてきた方なら、このぐらいは普通に分かっていると思います。忘れていたという方も、何となく使い方などは思い出したのではないでしょうか。
では、ここで一つお聞きします。
そもそも「過去完了形」って何なのでしょうか?何のために存在しているのでしょう?
意外と、この質問にスバリと答えられる人は少ないと思います。勉強が得意で、使い方も知っているし覚えている!という方でも、そもそも何で「過去完了形」というものがあるのかということまでは答えられないのです。もちろん、僕も分かりませんでした。
「過去完了形」は、日本語には存在しない時制ですよね。“過去のある時点を基準にして、それよりも前のことを表現する”という日本語は、どこか違和感がありますし、不思議な感じがします。
僕が「過去完了形」というものの存在理由を知ったのは、大学生になってからです。そもそも、あれは一体何だったんだろうという疑問が沸き、きちんと調べて理解してみた結果、ようやく納得することができたのです。
そこで今回は、一体「過去完了形」とは何かということを、日本語や英語、日米の文化についても軽く触れながら、分かりやすく説明していこうと思います!(そんなの知ってるよという方にはつまらない記事になってしまいます。ご了承ください。)
目次
日本語の例文「タバコを吸っていた」
たとえば、日本語話者が次のセリフを言ったとします。
「俺さ、昔、タバコ吸ってたんだよね」
あなたがこのセリフを聞いたとき、こういう風に思いませんか?
(昔タバコを吸っていた、ということは、今は吸っていないんだな)
おそらく多くの人はこう捉えると思います。しかし、冷静に考えてみて下さい。あなたが聞いた相手の発言の中では“今現在、タバコを吸っていない”とは一言も言っていないのです!
あの発言はただ単に「昔、タバコを吸った」という過去の事実を述べているだけで、現在のことは一ミリも関係ないのです。ただ過去の事実を述べただけで、現在も普通に吸っているかもしれないし、吸っていないかもしれないのです。
それを僕らは頭の中で、「昔吸っていた、とわざわざ言うということは、きっと今はもう吸っていないんだな」という思考を1秒でしているのです。つまり、相手の本当に言いたいことを察しているのです。
面倒くさいやつだったら…
「俺さ、昔、タバコ吸ってたんだよね」と言ってきた人に対して、あなたが「そうなんですか。じゃあ今はもう辞めたんですね」と返したとしましょう。そこで、もしも相手が
「いやいや、俺は『昔、吸っていた』という過去の事実をただ漠然と述べただけであって、今現在俺がタバコを吸っているかどうかに関しては一言も言及してないぜ?」
と言い返してきたらどうでしょう。あなたに反論の余地はありません。なぜなら、たしかに彼は“現在のことについて”は一切言及していないのですから。あなたが勝手にそう解釈しただけです。
でもこれって、超面倒くさいやつですよね。「先生トイレ!」「先生はトイレじゃありません!」と言い返してくる教師ばりに面倒くさいやつです。しかし、勘のいい人は気がついているかもしれませんが、この面倒くさいやつが、まさに英語という言語そのものなのです!
英語は面倒くさい言語
日本人の感覚から言わせてもらうと、英語という言語は非常に面倒くさい言語なのです。主語を必ず入れるだとか、文法をきちんと守るとか、全てを事細かく、ハッキリとやらなければ通じないのです。
これは最初のタバコの例文にも言えることです。「俺さ、昔、タバコ吸ってたんだよね」というセリフを英語話者は、過去の事実を述べているだけで現在は関係ない、と捉えてしまうのです。
じゃあ、“昔にタバコを吸っていて、今はもう吸っていないです”というニュアンスを伝えるにはどうすればいいのか。そこで登場するものこそが「過去完了形」なのです!
“過去のある時点を基準にして、それよりも前のことを表現する”
「過去完了形」の存在意義、理解して頂けたでしょうか。要は、「過去完了形」というのは、言葉の意味をそのままに解釈する英語という面倒くさい言語において、厳密に、事細かく過去や現在の状況を伝えるための“用法”だったのです。
日本語だったら、発言のニュアンスとノリで何となく察するであろうことも、英語でそれは通用しないのです。言葉通り、文字通り、それがそのまま解釈されてしまう、日本人からしたら“面倒くさい言語”のです。
日米の文化の違い
日本語と英語は、まるで異なる性質の言語だということが分かりましたよね。では一体、なぜこの2つの言語はこんなにも性質が違うのか。それは、文化の違いだと考えれば理解しやすいと思います。
日本は、比較的似たバックグラウンドを持つ人が集まってできている国です。ほとんど同じ民族で、同じ価値観を共有し、似た考え方を持っています。それにより、“厳密に言葉として表さなくても伝わるだろう”という考えがあるのです。
つまりは“察する文化”というわけです。ハッキリと思っていることを言葉で全て伝えるということは、失礼で品のないことだとされるのです。
一方で、アメリカは多民族国家です。色々なバックグラウンドを持つ人や、様々な考え方、価値観を持っている人が集まっています。となると、誤解のないコミュニケーションを取るには、ハッキリとした分かりやすい言語が求められるのです。
“察する”などと言っている場合ではありませんよね。より正確に、より厳密に、言葉で全てを表す必要が出てきます。だからこそ、英語は日本人からしたらいわゆる“面倒くさい言語”になっていったのです(英語はイギリス発祥だろ、という細かいことは抜きでお願いします)。
まとめ
- 「過去完了形」というのは、揚げ足を取られないよう、誤解が生まれないよう、忠実かつ厳密に状況・状態を表す“英語”という言語特有の性質によって存在するものである。
- よって、日本人は「英語は面倒くさい言語である」というスタンスで英語を勉強すれば、多少は英語の感覚が掴みやすくなるのではないだろうか。
- 両言語の性質の違いは文化の違いによって生じている。どちらが良くてどちらが悪いというわけではない。(多分、アメリカ人は、日本人が物事をハッキリ言わないことに対して面倒くささを感じている)
日本語という言語は、相手の言いたいことを察する文化に強く影響を受けているんですね!
「先生トイレ!」「先生はトイレじゃありません」というやり取りで生徒が「先生のことをトイレって言ったわけじゃないし」と言い返さないのも、きっと生徒が、
「先生が『先生はトイレじゃありません』という、どう考えても“そう言われた”と思ってはいないであろうことをあえて口にして指摘してきたのは、言葉の省略をせず、もっと丁寧な言葉遣いをしなさい、ということを暗に僕に対して教育の一環で伝えているのだろう」
と察しているからだと思います(笑) 察する文化も、それはそれで面倒くさかったりしますね!でも、色々な文化や言語があるからこそ、世界は面白いのかもしれません。
最後まで見てくれてありがとうございます。