こんにちは。
最近よく「e-Sports」という単語を耳にすることが増えてきました。e-Sportsという言葉は簡単にいうと“ゲームをスポーツと捉える”際に用いられる名称のことです。
そんなe-Sportsですが、近年どんどんと盛り上がりが強くなってきており、公式大会では多額の賞金が提供されるようにもなってきました。
なかでも驚きなのが、今世界中で大ブームを引き起こしているゲーム「Fortnite」の公式大会では、なんと1億ドル(約110億円)が賞金として提供されるとのこと!
いまやゲームに勝てば億万長者になれる時代なのです。しかし、そのことに対して、「そんな社会はおかしい」と嘆く人が多くいます。特に年配の方に多い印象ですね。
目次
たかが“遊び”だろう
たしかに、そんな社会を批判したくなる気持ちは分かります。そもそもゲームとは単なる遊びの一環ですし、基本的にはただの暇つぶしです。
「勉強」「ゲーム」という2つの単語は、対極に位置しているように感じますよね。ゲームは長いこと世間から“社会に不必要なもの”というレッテルを貼られ続けてきました。
ところがどっこい、そんな悪の存在であるゲームで大金を手にすることができるとなったら、世間が批判をしたくなるのは分かります。
しかし僕は、ゲームで大金を稼げる社会は、ごくごく正常な社会だと思っています。
そこに需要があるだけ
ゲームで大金が稼げるようなシステムが作られたことは、別に不思議なことでも何でもありません。むしろ、需要があるところに供給があるという、経済の基本原理がそのまま働いているだけです。
用は、めちゃくちゃゲームのうまい人達がゲームで戦っている様子にはそれだけ価値があるよね、というだけのお話です。それだけコンテンツとして魅力があるのです。
ゲーマーも、ゲームをやることで誰に迷惑をかけるわけでもありません。お金を払っている人達も、それが楽しいからお金を払っているだけです。まさにWin-Winというわけです。
スポーツも、初めは遊びだった
よく考えてみたら、今現在スポーツとされているものだって、最初はただのお祭りだったり遊びだったりしたわけです。
プロのテニス選手は試合に勝つことで大金を稼ぎますが、テニスだって元々は単なる貴族の遊びです。当時、テニスでお金を稼ぐなんてまずあり得ない話だったでしょう。
時代が進むごとに貴族の特権が民衆へと広がっていき、大きな需要を生むようになっていきます。その流れの一環として、スポーツも庶民の娯楽へとなっていったのです。
全ての人に解放されているからこそ、トッププレイヤーというものが誕生し、そこに需要が生まれます。誰もが知る競技でそのトップが競い合う光景は、誰が観ても面白いですからね。
むしろ、ゲームで大金を稼げる社会とは、それだけ民主化が進んでいる証拠だと僕は思います。
まとめ
ゲーム大金を稼げる社会はごくごく正常な社会だし、今までの歴史からして特段変わったことではない!
人間が楽しいと感じるものは、これから先ずっと続いていくと僕は思います。ゲームとはもはや巨大な市場の一つで、それは今後ずっと変わらないでしょう。
タイトルで“たかがゲーム”と付けましたが、
僕はゲームが大好きです!
最後まで見てくれてありがとうございます。