人生に地図はない

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松本青也さんの『日米文化の特質 価値観の変容をめぐって』が面白い!要約と感想

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こんにちは。

 

皆さんは、外国人との文化の違いを感じたことはありますか?国際的な交流が急増する昨今、それぞれがの文化特有の価値観の違いによる衝突が増えています。これらの衝突を防ぐためには、お互いの文化をより深く理解することが必要となります。

 

では、どうすれば、お互いの文化をより深く理解することができるのか。最も有効な手段としては、お互いの文化を比較することが挙げられます。客観的な立場から互いの文化を比較することで、相手の文化も自分の文化もより深く理解できるようになるのです。

 

そこで僕は比較文化について勉強をしようと思い、松本青也さんの『日米文化の特質 価値観の変容をめぐって』という本を購入しました。この本は、日米文化の違いを、著者である松本青也氏が定義したCTR[文化変形規則]を軸として考察していくといった内容です。

 

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読み進めていくと、非常に興味深い内容や面白いシーンが数多くあったので、印象に残った内容を軽くまとめて紹介していこうと思います。

 

 

目次

 

 

 

CTRとは

日米における別れの挨拶には、大きな違いがあります。日本人は別れの場面で多用する表現は「頑張ってね!」であることが多いです。ところが、アメリカでは別れの際には「Take it easy(気楽にね!)」が多く用いられます。

 

これは“緊張”と“弛緩”というまるで逆の意味になります。同じ人間で同じ場面なら、心の底では同じようなことを感じたり思ったりしているはずなのに、文化が違うだけで表現される言葉や振る舞いはこんなにも違ってしまうのです。

 

この現象をうまく説明できないかと松本氏が考案したのが「CTR」です。つまり、言いたいことを表現する際に、同じことを思っていても、その人が持つ変形規則によって変形されてしまう、という考えです。

 

そして、そうした変形が、ある集団の間で共通して行われるとすれば、それは、その集団の文化特有の変形であると言うことができるのです。その変形規則を「文化変形規則(CTR:Cultural Transformational Rule)」と名付けたのです。

 

 

日米のCTR

『謙遜志向』と『対等志向』

日本文化には、へりくだりを美徳とする『謙遜志向』のCTRがあります。例えば敬語は、無意識に使う言葉にも、へりくだる気持ちが随所に表れています。

 

常に「相手が上で自分は下」なので、相手が自分に行う動作は「~して下さる」「~して頂く」となり、逆に自分が相手にする動作は「~して差し上げる」などと、上下関係を明示する表現になります。

 

ほかにも、大勢の人を前にしたスピーチでは、「僭越ではございますが、…」「お聞き苦しいところがあるかもしれませんが、…」と最初に謙遜してへりくだります。

 

一方、相手と親しく対等であろうと考えようとする『対等志向』のCTRがあるアメリカでは、尊敬を目上の者にではなく、自分に向けた“self-respect”という言葉がいい意味でよく使われます。自分を尊敬することは良いことなのです。

 

ほめられれば日本人のように否定しないで“Thank you for saying that.”(=そう言ってくれてありがとう)とか“Thank you for the compliment.”(=ほめてくださってありがとう)と素直にお礼を言います。

 

しかし“self-respect”をそのまま日本語に置き換えて「自尊」とすると、「自ら尊大にかまえること。うぬぼれること」(『広辞苑』)という悪い意味になってしまいます。そのため、日本人には、ほめられても「いやいや」と否定し、相手を畏れ敬い、へりくだるのが好ましいというCTRが染みついているのです。

 

 

日本では相手と自分とのタテ軸上の関係や状況でどの程度の敬語を使い、どれくらいへりくだる必要があるかが決まってきます。そのために初対面の人と出会ってお辞儀をしてからは、まずその情報を得ることが何より必要となるのです。

 

そこで登場するのが詳しい肩書き付きの名刺です。日本人の出会いは常に名刺の交換から始まります。肩書きの次に必要なのが年齢についての情報です。日本では年を取っただけで地位も給料も上がる場合が多く、高齢であることは値打ちがあることなのです。

 

相手の年齢が不詳だとどうも話しづらいことがあると思います。そこで、頃合いを見計らって「ところでおいくつでいらっしゃいますか?」とズバリ聞いたり、少し間接的に「昭和何年の生まれでいらっしゃいますか?」とか「干支はトラですか?」などと尋ねて情報を仕入れるのです。自分より年上だとばかり思っていた相手が年下だとわかると、とたんに緊張がほぐれて言葉遣いが変わってきたりします。

 

一方、アメリカでは日本ほど年齢が話題になりません。それは年齢を気にしていないからではなく、年齢をたずねることがたとえ男性同士でも失礼なことだとされているからです。日本と違って年を取るだけでは尊敬の対象にもならない文化の中では、若さこそが貴重で年を取っていることはむしろマイナスの要素とされるからなのです。

 

「集団志向」と「個人志向」

日本人の特性としてよく指摘されるものに、和を尊重する集団性があります。日本文化には「集団志向」のCTRがあり、みんなと一緒だと安心するのです。一方、アメリカ文化には「個人志向」のCTRがあります。行動を規制するものは、他社の目ではなく、神に対する個人の罪の意識なのです。

 

日本人とアメリカ人を時計の歯車と色鉛筆に例えることがあります。時計の歯車は、時計という集団の中で、他の歯車と一緒に働いてこそ役割を果たせますが、1つだけ取り出されても何もできません。それに対して色鉛筆は、1本を取り出しても、自分だけの値打ちがあるというわけです。

 

入社試験において、アメリカでは個人の成績やスキルを重視しますが、日本ではむしろ皆と一緒にうまくやっていけそうな人柄かどうかが重視されることが多いですよね。日本は24時間が会社中心という人が多く、何かあれば「会社一丸」となって取り組もうとします。

 

日本において、個人で自由に行動することを優先しようとすると、「あいつは個人主義だ」とか「ノリが悪い」など悪口を言われかねません。死んだ後でさえ、先祖代々の墓に入れられて集団生活を送るのです。それに対してアメリカでは個人単位で独立したお墓を作ることが多いです。

 

日米の言語を見ても、例えば、プライバシーという言葉はアメリカで頻繁に使われていますが、日本語にはうまく翻訳できる言葉がありません。これは「私」という個人の意識に差があるのだと考えられます。

 

日本語に「私」という漢字のついた言葉はたくさんあるが、「私語」「私刑」「私服」「私利私欲」などマイナスのイメージで使われることが多いですよね。これは、日本人が昔から個人である「私」よりも集団の方に重きを置いていきた確固たる証拠なのです。

 

『自然志向』と『人為志向』

日本文化には、自然の流れに任そうとする『自然志向』のCTRがあります。稲作文化の長い歴史を持つ日本人は、いくら急いでもなるようにしかならず、人生は静かに待つエスカレーターだと考えます。

 

一方、アメリカ文化には主体的に流れを変えようとする『人為志向』のCTRがあります。新大陸に渡り、自然に手を加える開拓によって新しい国家を築いたアメリカ人は、論理主導で計画的に働きかけさえすれば、自然でも社会でも、必ずより良いものにすることができるというアメリカン・ドリームを持っているのです。

 

アメリカ人が主体的に「する」と考える場合に、日本人は状況が自然にそう「なる」と考えることが多いです。親の反対を押し切って結婚するときでも、「結婚します」と言わないで「結婚することになりました」と言います。

 

日本は結婚してからの夫婦関係も風任せです。恋人同士のときのようなトキメキがなくなっても、会話が「フロ」「メシ」「ネル」だけになっても、それは自然の成り行きで仕方がないし、それなりに長年連れ添った夫婦の自然な味が出てくるというものです。アメリカ人のように、いい年をして「愛しているよ」などとは口が裂けても言えないのです。

 

一方、アメリカの夫婦は、自然に逆らっていつまでも“keep romance”(=ロマンスを維持)しようとし、“keep passion”(=情熱を維持)しようとするのです。そこで、夫が帰る頃になると奥さんはいそいそと化粧を始めます。子供をまだ赤ちゃんのうちからベビー・シッターに預けて、夫婦だけでいろいろなところに出かけます。「亭主元気で留守がいい」日本の妻とは、やはり意識が根本的に違うのです。

 

日本人は主体的ではないが故に、責任も取ろうとはしません。ある状況に置かれれば「なる」ように「なる」のが自然だと考えます。なので、誤解を受けるようなところで男女は一緒にいるべきではないのです。アメリカでは、ただ一緒にいたからといって、なるようになったとは考えません。なったとすれば、それは2人がそうしたからなのです。それ故に、アメリカでは男女の友達が同じ家に泊まるということは問題ではないのです。

 

まとめ

自文化のCTRを比較対照することにより、発想や思考の幅を広げることができます。日本文化の中に生まれ、日本文化しか知らないと、日本文化のCTRが無意識に身について、それに従って行動することが当たり前で正しいことだと思い込みがちになってしまいます。褒められても否定し、集団に合わせて過ごし、会議では流れのままに任せ、頑張ろうと声を掛け合う生き方しか思いつかないのです。

 

しかし、そうした行動がすべて日本文化のCTRの産物であり、違う文化にはまた別のCTRとそれに従った行動があるのだと知ると、発想や思考の幅が広がり、違う生き方や行動も視野の中に入ってきます。一度限りの人生を自由に、豊かに、自分らしく生きる可能性が生まれてくるのです。

 

そして、異文化と自文化のCTRを知ることが異文化相互理解を深めるのに役立つことは言うまでもありません。相互理解を深めるにあたって、相手のCTRを正しく理解しようと努力することは勿論重要ですが、それと同時に、自分が大切にしたい日本のCTRのうちで誤解されがちなものを明確に発信しようとする姿勢も、今後国際社会の中でますます求められてきます。

 

人間の思考や行動をCTRに影響されたものとして捉えることが、国の内外を問わず、相互の信頼を増していくことにつながっていきます。そういう姿勢がないと、例えばアメリカ人は日本人の目に、生意気で、喧嘩腰で、傲慢な利己主義者に映ってしまうかもしれないし、逆に日本人はアメリカ人から見れば、ごまかしてばかりで、人に合わせてばかりで、ずるくて無責任な人間に思えてしまうかもしれません。

 

つまり、CTRの働きを知れば、文化の異なる人間の思考や行動が違うのは、異なるCTRに影響されているだけで、表面的な違いの内側に、信頼するに足る「まったく同じ人間」が存在するのだということをつくづく認識することができるのです。それこそが、異質な者同士が共に生きるために何よりも必要なことなのです。

 

 

 

以上が、松本青也さんの『新版 日米文化の特質 価値観の変容をめぐって』という本の簡単な要約となります。

 

 

この本を読むことで、一つの文化の中に閉じこもるのではなく、多くの文化から世界が成り立っていることを認識し、それらの文化のことも考えて自文化を見つめなおすということがとても重要であることが分かりました。

 

 

今回紹介した内容はこちらの本のごく一部で、まだまだ沢山の興味深いトピックが盛り込まれています。少しでも興味が沸いたのなら、ぜひ購入されることをオススメします!

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。