こんにちは。
皆さんは異文化交流と言うとどういうイメージを思い浮かべますか?おそらくほとんどの方は、言葉が違ったり習慣が違ったりする外国人との交流のことを想像されると思います。
しかし実は、外国人との交流だけが異文化交流というわけではないのです。なぜなら、一概に“異文化”と言っても、どこまでを“異”にするかは厳密に定義されていないからです。
国家や民族といったものを“異”と見る場合もあれば、はたまた地域や家族単位を“異”とすることもあるのです。
つまり、あなたが、あなたにとって価値観が異なる人と交流をしたのならば、それはもう立派な異文化コミュニケーションなのです。
目次
身近な異文化交流
多くの人にとって最もポピュラーな異文化交流は、意外にも家族だったりします。皆さんにも両親や祖父母がいらっしゃると思います。
一般的に、両親や祖父母となると、あなたとの世代は大きく異なっているはずです。世代間の差が大きければ大きいほど価値観はそれだけ変わってきます。よって、家族が最も身近な異文化交流と成り得るのです。
僕の家族の場合
僕の家族(祖母・両親・僕)を例に挙げます。
僕の祖母は“大日本帝国”という軍国主義国家・多民族国家に生まれました。青春時代を戦争と共に過ごし、親しい友人や親族の死をこれでもかと思うほど体験しました。祖母本人も空襲に遭いました。
敗戦を迎え、これまで教えられてきたもの・信じてきたものが180度覆りました。この時の衝撃は相当のものだったそうです。絶対だと思っていた世界が簡単に崩れ去ったのですから。
僕の両親は、アメリカから独立してまだ間もない“貧しい発展途上国、日本”に生まれました。学校の先生や両親をはじめ、街を歩く周りの大人のほとんどが戦争経験者です。原子爆弾の傷跡もまだ多く残っています。誰が見ても、とんでもない状況の国です。
そんな状況ではありましたが、青春時代は高度経済成長と共に過ごしました。自分たちが成長するほど、国も豊かで急速に発展していきました。社会に出る頃には、日本も先進国と呼ばれるまでに回復し、希望に満ち溢れた時代が到来しました。
そして僕自身は、世界第2位の経済規模を閉める“主要先進国、日本”に生まれました。非常に豊かな国で、教育も文化も科学技術も進んでいます。誰が見ても、世界が羨む素晴らしい国です。
戦争経験者といえば高齢者のことで、もはやこの国が戦争をしていたというのは歴史上の物語です。青春時代をインターネット技術の発展と共に過ごしてきました。街行く人々はみなスマホの画面からネット空間に没頭しています。
とまあ以上のように、同じ屋根の下に暮らす家族とはいえ、ここまで自身が過ごしてきた環境や状況が異なっているのです。物事に対する価値観が全然違うのも無理はありません。
国家観の違い
僕の祖母は、いつも優しくて全く怒らない人です。自分から何かするということもせず、基本的におっとりしています。ところが、国会中継が始まると急激に不機嫌になり、自らリモコンを持ちテレビを消してしまいます。
戦争で酷い思いをしてきたからか、“国家”というものを全く信用していないのです。むしろ毛嫌いしているくらいです。祖母が「日本」や「国家」といった事について語るのを、僕は一度も聞いたことがありません。
僕は「日本」は平和で豊かな素晴らしい国だと思っていますし、日本のことが純粋に好きです。しかし、そのことを祖母に話すと、おそらく不機嫌になってしまうでしょう。
僕の両親は、日本と言えば貧しくて発展途上という印象が強くあるそうです。そのため、ドライブなどで久しぶりに都心へ行くと「ここは日本じゃないみたいだ」と言った発言をよくします。
この前も両親を品川駅に連れて行ったのですが「近未来都市のようだ」「映画の中だ」と感激していました(笑)
両親にとっての日本は、“成長している最中の貧しい国”というイメージが一番しっくりくるのだと思います。
うってかわって、50年後の日本はどうなっているのでしょうか。おそらく、今ほどの地位には居られていないと思います。もしかしたら、世界の中で相対的に貧しい国となっているかもしれません。
その時の僕に孫がいたとしたら、孫にとっての「日本」は、僕の日本観とは大きく異なっている事でしょう。
まとめ
異文化交流とは、価値観の異なる人との交流のこと。生まれた時代や育った環境によっても価値観は変わってくる。つまり、家族内でも異文化交流が発生する。
新しい価値観の人と交流することは、新たな発見のキッカケになったりします。皆さんも積極的に異文化交流をしていきましょう!
最後まで見てくれてありがとうございます。