こんにちは。
以前、大学のゼミで「体罰」についての議論をしました。多くの意見として「体罰は絶対によくない」というものが挙げられましたが、僕は少し納得いきませんでした。
僕の体罰に対する考えは、大勢の意見とは違うものだったからです。今回はそんな「体罰」について、個人的な意見を語っていこうと思います。
目次
反対だが、必要
僕の体罰に対する立場は「反対だが、必要」というものです。
体罰の存在自体には、反対です。体罰は残酷ですし、強いものから弱いものへ一方的に行われるものです。そんなものが無い世界の方が平和に決まっています。
しかし、それはあくまで理想です。現実を見ると体罰はどうしても必要になってしまうのです。体罰を無くすことは不可能ですし、そうしない方が良いのです。
子どもは製品ではない
体罰が絶対にダメだという意見の人に「そんな教育の仕方は間違っている」という人がいます。それはつまり「絶対的な正しい教育」があるということでしょうか。
僕はそんなものがあるとは思えません。子どもは規格が決まった大量生産型の製品ではありません。ビックリするほど真面目な子どもから根っからの悪ガキまで、ありとあらゆる性格の子供がいて、一人一人まったく違った個性を持っているのです。
つまり、絶対的に正しい教育は存在しないのです。そうとなると、体罰が最も有効な教育になる子どもも居るということです。
例えば、とても暴力的で、罪のない友達を殴ったり蹴ったりする悪ガキが居たとします。彼は、友達や先生からいくら注意されても、一切聞く耳を持ちません。何を言われても「うるせー」と返します。
そんな彼は、父親に強烈なビンタを食らうことで、自分が友達にしてきた行為がどれだけ酷いものだったか気がつくかもしれないのです。
ほとんどの子供はきちんと口で叱れば理解すると思います。しかし、全員が全員そうとは限らないのです。体罰を一概に禁止すれば、一部の子供にとっての有効な教育手段を奪うことになるのです。
集団生活での体罰
家族や親が、体罰で子どもを教育することは好ましくありません。子どもが悪いことをしたときには、すぐに叩いてしまうのではなく、じっくりと話し合うことがベストです。
ゆっくりと時間をかけて、何回も言葉で教えれば子供は理解します。悪いことをしたからってすぐに叩いてしまうのは、子どもと真剣に向き合うことを放棄しているのと同じです。
しかしこれらは、じっくり時間をかけられる親や家族についてのみの話です。学校となっては話が違います。
学校とは基本的に集団生活の場です。教師や学校側は、一人一人の子供に対して多くの時間を割くことはできません。
たった一人の問題児に対してじっくり時間をかけていたら、他の真面目にきちんとやっている生徒に迷惑をかけることになります。
何回も言葉で注意しても聞かない生徒がいたら、その他数十人の生徒のためを思うと、手を出して言うことを聞かせるのはやむ終えないと思います。
抑止力としての体罰
もしも体罰を完全に禁止してしまえば、教師は非常に弱い立場に置かれてしまいます。最悪なのは、その弱みにつけこむ子どもが出てきた時です。
いくら悪いことをしても、教師は絶対に手を出せない。そのことから、教師の言うことを全く聞かない子どもが現れ、学級が崩壊する事態になりかねないのです。
言葉で教育できない教師はポンコツだ、という意見があるかもしれませんが、教師も人間なので完璧ではないのです。
体罰が認められていれば、子どもも限度を超えようとはしないでしょう。厳しい体育教師が巡回するだけで、学校は平和が保たれます。
たとえ体罰を行使することはなくとも、体罰が認められているという事実だけで、十分な抑止力となるのです。
まとめ
僕は、体罰がない世界が最も良い世界だと思います。しかし、それはあくまで理想。現実問題それは不可能なのです。よって、体罰は必要であると考えます。
そもそも社会はそういうものです。戦争や刑法などが一切ない世界の方が良いに決まっています。しかし、何十億という人間がいる以上、そんなことは絶対に無理なのです。
僕達が主張するべきことは「体罰の禁止」ではなく、体罰を悪用する大人の制裁です。そもそも体罰が悪いものとされる理由の一つは、過度な体罰を行い、子供に怪我を負わせるような悪い大人がいることです。
問題があったからそれを全部規制してしまおうという考えは、浅はかですし非常に聞けな行為です。自分が何を正しいと思うか、それを考える癖をつけていきましょう。
以上、僕の個人的な意見でした!
最後まで見てくれてありがとうございます。