人生に地図はない

人生に地図はない

経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

【究極の問い】「人は死んだらどうなるのか」に対する僕なりの考えをまとめてみた

スポンサーリンク

こんばんは。

 

f:id:clumsyboy:20181021030638p:plain

 

今この記事を書いている時刻は、深夜3時です。というわけで今回は珍しく深い話をしていこうと思います。今回のテーマは「人は死んだらどうなるのか」についてです。

 

人は誰でも100%死にます。それが早いか遅いか、10年後か50年後かという話なだけで、必ずいつかは皆「死」を経験することになります。成功者も凡人も、これまで生まれてきた人間は一人残らず死んでいっています。

 

しかし、人は死んだらどうなるのかということについては、この科学技術が発展しきった現代においても未だ分かっていません。そして、おそらくこれからも、答えが出ることは決してないでしょう。

 

一旦「死」について考えだすと、そもそもこの世界は何なのか、宇宙とは一体何なのか、次々と疑問が浮かび上がっていきます。そして、これもまた永遠に分からないテーマなのでしょう。

 

おそらく人間ならば、誰もがこれらのテーマに対して強い疑問や興味を持っているはずなのですが、日常では決してこういった話を他人とすることはないでしょう。というより、話したくないのだと思います。答えも出るはずがありませんしね。

 

しかし人は、一人の眠れない夜などに、それらのテーマについてふと延々と考えてみたりするものです。そこで今回は、「人が死んだらどうなるのか」について、僕が個人的に考えていることを紹介していこうと思います。

 

 

目次

 

 

人は死んだらどうなるのか

 

天国や地獄などの「あの世」と呼ばれる死後の世界に行く説や、生まれ変わって別の人生を送る説、はたまた、ただの無になる説など、人が死んだらどうなるのかについては、既に色々なことが言われていますよね。

 

これら幾つかの説の中でいえば、僕個人の持つ考えは「来世がある」という説に最も近いです。しかし、少し違っています。どういった点で違っているか、それは“魂の有無”についてです。

 

僕は個人的に、「死後の世界」や「魂」といったものは一切存在しないと考えています。けれど「来世」はあると考えています。一見矛盾しているではと感じると思うので、1つずつ解説していこうと思います。

 

 

「魂」は無いが来世はある

 

冷静に考えて、そもそも「魂」というものは人間の空想上の概念の1つです。普通は、誰も「魂」を見たことがありませんし、科学的に観測されたものでもありません。「魂」は、もしかしたらあるんじゃね?という程度の想像上の概念にすぎないのです。

 

そのため、死後、身体から魂が抜け出るとか、再び別の生命として魂が戻ってくるとか、そういったものはどうも僕は信じきれないのです。

 

しかし僕は、「魂」という概念とは別に「来世」は実在していると考えています。つまり、今の人生が終わった後は、無に帰るわけではなく、また何か別の生命の「意思」として存在し続けるのです。

 

「生まれ変わり」や「魂」とは関係なく、人知を遥かに超えた宇宙の何かしらの法則に基づき、僕らはまた「意思」を持ってこの宇宙に誕生するのではと考えています。話がめちゃくちゃスピリチュアルっぽくなってますね(笑)

 

 

人として生まれる奇跡

 

なぜ僕は「来世」が存在すると考えているのか。それは、人間として生まれる確率があまりにも奇跡的すぎるからです。

 

考えてみて下さい。もしも、この世に生命として存在できるのが1回だけだったとするのなら、様々な娯楽や趣味など、高度で多様な経験ができる“人間”は間違いなく最高の生命です。

 

もしかしたらあなたは、アリやゴキブリ、ハエとして生まれ、僅か数日でこの世を去る「意思」だったのかもしれないのですから。これはあまりにも報われませんよね。そう考えると、人間として生まれた奇跡は計り知れません。

 

ちなみに、アリはこの世に1京(10,000,000,000,000,000)匹存在すると言われています。人類はたったの100億(10,000,000,000)人です。つまり、この世にアリと人間しか存在しなかったとしても、人間として生まれる確率は100万分の1なわけです。

 

この世界には、アリ以外にも数え切れないほどの生命が存在していますから、そして、それらが何百万回と世代交代しているわけですから、あなたが人間として生まれてこられた確率は、まさにあり得ないほどの奇跡ということになります。

 

僕は、そんな確率的にあり得ないほどの天文学的奇跡が起こって今僕らが存在していると考えるよりも、前前前世や来来来世が無限回数存在していて、たまたま現在(今世)が人間として存在しているのだと考える方が、遥かに自然だと思うのです。

 

 

自分=他人=宇宙

 

さらにスケールの大きい話になります。僕は、ひょっとしたら自分と他人は同じ存在なのではないかと考えています。自分と他人だけでなく、その他全ての生命は、自分とイコールの存在なのではないでしょうか。

 

なぜなら、この世界にある全ては宇宙によって生み出されましたよね。つまり、自分も他人もその他の生命も、全ては同じ宇宙から作り出されているということです。

 

一見、それぞれの生命(自分や他人)は分離独立していて、別々の存在のように見えていますが、実は全員自分自身(すなわち宇宙)なのではないかと思うのです。僕たちは、宇宙そのものなのです。僕たち自身が宇宙なので、決して存在が消滅することはないのです。

 

 

この記事のまとめ

 

  • 「魂」という概念とは違うが、来世や前世に近いものは存在すると考えている。

 

  • 人として生まれる確率の低さや、1回だけの存在の不平等さから、意思を持つ回数は無限回数であると考えるのが妥当なのではないか。

 

  • そもそも僕たち自身が宇宙そのものなので、自分や他人、その他の生命は全て同じ存在(自分、宇宙)であるのかもしれない。

 

  • 結論、人は死んだらまた何か別の生命として「意思」を持つ。それを無限回数繰り返している。

 

 

今回書いた内容は、あくまで全て僕の個人的な考えです。何かスピリチュアル系の商売でもありませんし、宗教も関係ありません。そして、正解は誰にも分からないと思います。皆さんは「死」や「宇宙」について、どのような考えを持っていますか?

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。