人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

「無宗」教を信仰する人々の狂気について語ってみた。

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こんにちは。

 

 

先日、複数人の友達と飲みに行ったときに“宗教”の話題が出てきました。なぜその話題になったかというと、飲みにった友達の1人がある宗教の勧誘を受けたからです。

 

 

 

ぼーっと聞いていたのですが、去年僕の親友がその宗教に入信したことをふと思い出し、そのことを話してみました。

 

 

 

「その宗教なら○○も入ってるよ」

(○○のことは全員中学の同期なので知っています。)

 

 

 

僕がそういうと、その場にいた友達が全員仰天とした表情をしていました。

 

 

 

「え、あの○○が?!なんで??」

 

 

 

といった感じでした。

 

 

 

それ以降は、その場にいる友達はみな、宗教に入った僕の親友のことをまともな人間とはみなさなくなってしまいました。洗脳されているのでは?とか、何か犯罪をしていないか?と僕に質問をしてきます。

 

 

 

結論から言うと、宗教に入った彼は何も変わっていません。今まで通り、僕は彼と頻繁に会い、食事に行ったりしています。向こうから何か勧誘してくることはありません。

 

 

 

彼の入った宗教は、たしかに評判は良くありません。集団ストーカーや選挙の勧誘など、ネット上ではボロクソに批判されています。

 

 

 

しかし彼はそういうことをする人間ではありません。彼自身も、一部そういうことをする人もいるけど俺は良くないと思う、と言っています。

 

 

 

しかし周囲には、とある宗教に入ったというだけで、その人を危険人物だと決めつける人が多数います。

 

 

 

僕から見ると彼らは“ムシュウキョウ”という宗教を信仰しているように見えます。別の宗教に入ると途端にその人を批判し、異端扱いをする、僕にとってはそちらの方が宗教じみていて怖かったです。

 

 

 

けれど、日本は同調圧力が強い社会なので、これくらいのことはしょうがないことなのかなと思います。僕は宗教を“大学のサークル”程度だと考えているので、誰が何を信じようと対して気にしません。ある程度の寛容さが今の日本社会には必要な気がします。

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。