こんにちは。
皆さんはこれまでの人生で、面倒なことを後回しにして後悔した経験を何回ほどしてきましたか?恐らくこの問いに対して「数え切れないほど」と答える人がほとんどでしょう。
勿論僕自身も例外ではありません。しかし、それはごく当然のことで、人は誰しも面倒なことを後回しにしてしまうものです。むしろ、どんな面倒事も後回しにせずぱっぱと片づけてしまえる人の方が少数でしょう。
けれど世の中には、そんな自分に嫌気がさしていると感じている人が大勢います。自分で分かってはいても、どうしても後悔することから抜け出せないでいる人が多いのです。
目次
なぜ面倒事を後回しにしてしまうか
人が面倒なことを後回しにしてしまいガチなのは、人が“楽な状態”を求める生き物だからです。頭や身体を使ってストレスが溜まる環境下に身を置くことが好きという物好きな人はあまりいませんよね。
となると人は、たとえ片づけなければならない面倒事や課題があったとしても、目の前にある目先の“楽な状態”を優先してしまうのです。人は誰しも「今」を生きているわけですから、来るか分からない未来の事よりも「今」を重視してしまうからです。
しかし、その選択は自分にとって良い結果を生み出すことはほとんどありません。なぜなら、その来るか分からない“未来”というのは、大抵の場合、普通にやってくるからです。
後回しでは本質的な「楽」は得られない
上記のように、人は「今」を楽な状態で過ごしたいがために、面倒事を後回しにしてしまいます。しかし、それでは本質的に“楽な状態”になることはできないのです。
それもそのはずで、自分が後回しにした面倒事は、必ず最終的に自分が片づけなければならないからです。後回しにしても、結局それをやるのは自分なのです。未来を考えず今のとだけを重視することは、単なる現実逃避にすぎないのです。
いくら現実逃避をして見かけ上“楽な状態”が手に入ったとしても、精神的に完全に楽になることはありません。なぜなら「まだやるべきことが残っている…」「いつかはやらなければならない…」という焦りや不安が心の片隅に残り続けるからです。
楽は「する」ものではなく「なる」もの
無敵なのは、どんな面倒事も後回しにせずぱっぱと片づけられる人です。けれど、そんな修行僧のような人間にはなかなか簡単になることはできませんよね。
では一体、人はどうすればそのような修行僧のような状態に近づくことができるのでしょうか。それは、楽は「する」ものではなく「なる」ものだと心得ておくことだと僕は思います。
“楽な状態”を実現するために楽をしようとすると、どうしても目先の「楽」を優先してしまいます。たとえそれが後で苦労することになるとしても、決して精神的に楽でないとしてもです。
つまり、楽をしようとすると結果的に“楽な状態”とは対極の状態に陥ってしまうのです。そこで、楽は「する」ものではなく「なる」ものであると考えるのです。楽というものは、面倒事を受け入れたその先に自然と着いてくるものだと認識を捉えなおすのです。
そう考えておけば、面倒事に直面してそれを後回しにしてしまいたくなった時に「いや、待てよ」と冷静に立ち止まれる割合が増えるのではないかと思います。その面倒事を片づけたその先にこそ、本質的に“楽な状態”が待ち構えているわけですから。
とはいっても「そんなことは分かっているけど、どうしても目先の楽を優先してしまう」という人がほとんどだと思います。僕もそうです。そういう場合には、前回お話しした根性論で乗り切る他ないと思います。
まとめ
- 人は「今」この瞬間に生きているため、今感じている気持ちや状態を優先してしまう。その結果、面倒事を後回しにしてしまう。
- 面倒事を後回しにすることは単なる現実逃避であり、結果より大変な思いをするのは自分である。精神的にも決して楽になることはない。
- 楽は「する」ものと捉えるのではなく「なる」ものだと意識していれば、自分の楽をしたい欲求に打ち勝てる割合が増えるのではないか。
僕も今まで目先の“楽な状態”を優先して生きてきましたが、それで結果的に良い思いをしたことは一度もありません。
楽はするものではなく、結果的になるものだと心得ておけば、そしてそれを貫ける根性を身に付ければ、人は無敵になれること間違いなしです!その状態を目指して、一緒に日々を頑張って過ごしていきましょう!
最後まで見てくれてありがとうございます。