こんにちは。
「動物を飼うなら犬派?猫派?」「休日はアウトドア派?それともインドア派?」「季節は冬が好き?それとも夏がいい?」「う○こ味のカレー?それともカレー味のう○こ?」
等々、あなたに対して“どっちがいいか”を求めるような日常会話は、今まででたくさん経験してきたことがあるのではないでしょうか?僕自身もかなり経験があります。
僕は、つい最近では会社説明会で「本は読むなら紙派?それとも電子派?」という質問を投げかけられました。ちなみにこの時は紙派と答えておきました。
そこで今回の話題なのですが、僕は昔からこの手の「どっち系質問」は非常に苦手です。なぜなら、どちらにも当てはまるし、どちらにも当てはまらないからです。
しかも、この手の質問にテキトーに応えてしまうと、後々面倒なことになったりもします。今回はそんな「どっち系質問」について僕が思うことを書いていこうと思います。
目次
どちらにも当てはまるし、当てはまらない
そもそも、どちらがより好きかなどを問う質問は、きちんと答えることがほぼ不可能です。なぜなら、その手の質問で出される選択肢は時と場合によって変化することが多いからです。
「どっちがいい?」と聞かれても、「それは時と場合によるよ」としか答えられません。つまらないやつだと思うかもしれませんが、それは事実なので仕方ないです。
例えば、「夏か冬ではどちらがいいか」という質問には「夏のうだるように暑い日は冬が恋しくなるし、冬の凍える寒さの日は夏が恋しくなる」としか言いようがありません。
どちらが片方より絶対的に好き、ということは無いのです。時と場合によって好きさ度合は変化しますし、当然、逆転だってします。
大勢に聞いて意見が半々に割れるような質問では、どちらが100%絶対的に好きということは普通断言できないのです。人の気分はころころ変わるものですから。
どちらか決めると面倒になる
和食派か洋食派かを訊かれたときに、あなたは「僕は和食派だよ」と答えたとします。あなたは、本当はどちらもそれぞれ好きなのに、です。
そうすると、あなたの周りの人はあなたが「和食派の人」であると認識し、そう期待します。すると、あなたは「洋食よりも和食が好き」というキャラを自分自身に追加することになるのです。
そうなると、なかなか「洋食が好き」という行動・発言をしにくくなりますよね。「今日はハンバーグが食べたい」と思っていても、発言するのに躊躇してしまいます。それは自分のキャラではないのですから。
このように、どっち派かを明確に答えてしまうと、それに反するような行動がとりにくくなってしまうのです。
どちら派かを明確に答えてしまうたびに、あなたの生きる上でのキャラ・ルールがどんどんと追加されていきます。つまり、それだけ自由に生きる選択肢が減ってしまうのです。
最悪なのは、どちら派かを明確に決めて以降、“自分は本当にそれが好きなんだ”と思い込んでしまうことです。
「俺はインドア派なんだから、外に行っても楽しめない。家の中の方が100%いい」と決めつけてしまい、勝手に人生の選択肢を狭めてしまうのです。
人間はみんな気まぐれ
人間はそもそもみんな気まぐれです。どんなに楽しいと思っていることでも、ずうっとやっていれば飽きますよね。社会の流行やブームがすぐに移り変わっていくのと同じです。
逆に、どんなにつまらないと思っていたことでも、ふと楽しく感じる瞬間はあります。想定外の楽しみを見つけたことって、おそらく誰でも経験があると思います。
人間は、その時の気分次第でどんなことも好きになるし、嫌いにもなります。ほとんどは時と場合によるし、たいていのことは気まぐれなのです。
なので、どちらが好きかという質問には無理に答える必要は全くありません。正直に「どちらも選べないかな~」と言っていた方が気楽です。
どちらかを決めれば、それがそのまま自分のキャラになります。自分のキャラを作りたい人はハッキリと答えればいいと思いますが、そうでもない限りは必要ありません。
まとめ
- 「どっち系質問」は、厳密な意味で答えることはほぼ不可能!
- 答えたら答えたで自分ルールが増えてしまい、とても面倒くさくなる
- 人間はそもそも気まぐれ!
くだらない質問で自分を縛るより、もっと気楽で自由に生きていいと思います。それが人間です。
最後まで見てくれてありがとうございます。