人生に地図はない

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皇居に関する豆知識&面白い話をまとめてみた

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こんにちは。

 

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日本の首都である東京には“皇居”と呼ばれる施設があります。おそらくほとんどの人が一度は聞いたことのある施設だとは思いますが、皆さんは“皇居”というものをどこまで存知ですか?

 

「都心の一等地にある広大な建物」

 

「天皇陛下が暮らされているところ」

 

ぐらいの知識は、おそらく日本人の誰もが持っていると思います。ですが、それ以外の歴史的な事柄などに関しては、意外と全く知られていなかったりするのです。

 

そこで今回は、皇居についてほとんど知らない人でも興味を持てるような、皇居に関する面白い話や豆知識についてまとめてみました。是非ご覧ください!

 

※皇居や日本の歴史についてある程度知っている人にとっては、退屈な内容になってしまうかもしれません。

 

 

目次

 

 

皇居=江戸城跡地

 

現在、天皇陛下が住まわれている皇居は、元はと言えば、徳川将軍が建てた江戸城(千代田城ともいう)の跡地なのです。

 

現在は、第二次世界大戦後に宮城(きゅうじょう)の名称が廃止された東京江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいる。

 

皇居 - Wikipedia

 

日本史に疎いという人でも、徳川将軍家と天皇家が違うことくらいは分かりますよね。そう考えると、現在の皇居事情はとても奇妙な状況になっているのです。

 

徳川将軍家の土地に、徳川将軍家が建てた建物に、徳川将軍家とは関係のない天皇家(皇族)が住んでいるわけですから。持ち主と居住者がしれっと変わってしまっているのです(笑)

 

つまり、都心の一等地にありとても立派に見える皇居は、元々は天皇家のために建てられたものではなかったのです。よくよく考えたら、コレって凄く不思議な感じですよね。

 

 

天守は火災で焼失したまま

 

しかも、です!現在の皇居は、実は、ほとんどが火事で焼けてしまったままの状態なのです!つまり、今僕たちが見ている皇居は本来の状態とは程遠いものなのです。

 

その証拠に、現在の皇居には天守がありません。元々が江戸城というお城だったのですから、大阪城や姫路城のように立派な天守閣がそびえ立っているはずです。

 

実は、皇居(江戸城)の天守は、江戸時代に起きた大火事(明暦の大火 1657年)で焼失してしまったのです。江戸時代が始まったのが1603年なので、江戸時代のかなり早い段階から焼失してしまい、以後ずっとそのままなのです。

 

一体なぜ、お城のシンボルであるはずの天守を再建しなかったのか。それは、当時の幕府が城の再建よりも街の復興を優先したことと、世の中が平和になったため、そもそも天守を築く必要がないということです。

 

明暦3年(1657年) 明暦の大火により天守を含めた城構の多くを焼失。町の復興を優先し、また経済的な理由から天守は再建されなかった。

 

江戸城 - Wikipedia

 

 

そういった理由から、300年以上経った今でも、江戸城の天守は再建されていないままなのです。時の権力者なら普通、ドーンとデカい建物を打ち立てたがるのが常ですが、江戸時代の権力者たちはそれをしなかったのです。なんとも日本らしい綺麗な理由ですよね。

 

 

千代田区の15%を占める

 

一度訪れたことのある方なら分かると思いますが、皇居はとにかく大きくて広いですよね!その面積は、およそ1.42km2です。

 

皇居がどのくらい広いのかがよく分かるデータがあります。なんと皇居は、千代田区の15%のもの面積を占めているのです!言い換えると、千代田区の15%は皇居なのです。

 

区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占める。

 

千代田区 - Wikipedia

 

 

千代田区自体はそれほど大きな自治体ではありませんが、それでも一つの自治体の15%もの面積を占めているということは相当凄いことですよね。

 

それでもイメージしにくいという方は、ディズニーを思い浮かべて下さい!皇居(1.42km2)はディズニーランド(0.51km2)とディズニーシー(0.49km2)を合わせた面積よりも全然広いのです!

 

 

元々は千代田区全体が江戸城だった

 

そんなべらぼうに広い皇居(旧江戸城)ですが、昔はさらに広かったのです。というのも、実は、千代田区という区は元々、江戸城の敷地の上に置かれた自治体だったのです。

 

つまり、今の千代田区という区は、丸々江戸城の敷地だったのです!皇居も、国会議事堂も、首相官邸も、最高裁判所も、警視庁も、日比谷公園も、東京駅も、霞が関も、永田町も、全ては旧江戸城の城内に建てられているということです!

 

区域は、「江戸城」の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址に当たる場所である[2]

 

千代田区 - Wikipedia

 

 

信じられないという方は、Google Earthで「千代田区」と調べてみて下さい。すると赤い線で千代田区の範囲が表示されるのですが、その赤い線に沿って“お掘”が存在しているのが分かります。

 

赤い線の内側が千代田区

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掘1

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掘2

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一見“川”と勘違いしてしまいそうですが、川ではありません。敵の侵入を防ぐための、立派なお掘です。これこそ、千代田区全体が江戸城だったことが良く分かる証拠です。そもそも、江戸城は別名“千代田城”と言います。

 

 

本籍者数が日本一多い

 

最後に、テーマがグッと変わります。日本の戸籍制度では、住所とは別に本籍というものがありますよね。この本籍というものは、なんと、日本国内であればどこに置いても自由らしいのです!

 

北方領土だろうが、山の頂上だろうが、例えそこに住んでいなくとも自由に置くことができるのです。そして、日本で最も本籍地として人気な場所が“皇居”なのです。

 

Wikipediaによると、2004年現在で約2100人が本籍を皇居に置いているそうです。たしかに、皇居の住所は「東京都千代田区千代田1−1」なので非常に覚えやすいですよね。

 

 

まとめ

 

  • 皇居はそもそも、徳川将軍が建てた江戸城の跡地であって、天皇家のために用意されたものではなかった。
  • 天守は火災で焼失したままになっているため、現在の皇居(旧江戸城)は本来の姿ではなく不完全な状態である。
  • 皇居(旧江戸城)は千代田区の15%の面積を占めているが、実は元々、千代田区そのものが江戸城の敷地だった。江戸城恐るべし。
  • 皇居は本籍地を置く場所として最も人気な住所となっている。

 

 

何か新しい発見はありましたでしょうか。この記事を見て少しでも皇居に興味を持って頂ければ幸いです!

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。