人生に地図はない

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【嫌いな言葉】この世から無くなってほしい言葉5選をまとめてみた

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こんばんは。

 

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突然ですが、皆さんには「嫌いな言葉」というものがありますか?嫌いな言葉とは、その言葉を聞くだけで嫌な気持ちになったりとか、存在しなければよかったのに、と感じる言葉のことです。「バカ」「アホ」のような、ストレートな悪口などは含めません(笑)

僕は昔から、言葉とか言語というものが本当に大好きで、だからこそ、これだけは存在してほしくなかったなと思える単語が沢山あります。そこで今回は、僕が個人的に思う「嫌いな言葉」トップ5を紹介&嫌いな理由を解説していこうと思います!

 

目次

 

1「人脈」

 

意識高い系の方や上昇志向の強い方などからよく聞く言葉に「人脈」というものがあります。たしかに、人脈は無いよりも有る方が絶対に良いですし、多くの人が「今よりももっと人脈を広げたい」と考えているはずです。

しかし“人脈を広げる”と聞くとどうしても、「大勢の友達を作れて楽しい!」というよりも「自分が困ったときに役立つツールが増えるぜ!」といったニュアンスに僕は聞こえてしまうのです(個人的な意見です)

同じ趣味で一緒に盛り上がれる相手のことや、よく一緒にご飯を食べに行く気の合う相手のことを「人脈」とはあまり言いませんよね。どちらかといえば、仕事における取引先やトラブルなど、自分が困っている時に利用できる意外な繋がりのことを「人脈」と呼ぶイメージがあります。

要は、「人脈」という言葉には、「利益」や「利用」といった、自分志向的な汚い印象があるように感じられるのです。「人脈」よりも「交友関係」と言った方が少し良いニュアンスになるのではないかと思います。

 

2「偽善」

 

「偽善」とは「本心からでなく、うわべをつくろってする善行」という意味の言葉です。それを行う者のことを「偽善者」と言います。一般的にはネガティブな意味合いを強く持つ言葉ですが、僕は昔からそのことに違和感を抱いていました。

というのも、この世のほとんどの善は偽善だし、そもそも偽善であることの何が悪いんだろう、という思いが僕の中にあるからです。逆に、一切のうわべのない本心からの善など、この歪な世界で要求することの方がおかしいと思います。

嘘偽りの一切ない「本心からの善」を無償に与え続ける人間が仮に居たとしたら、そういった人を利用しようとする汚い人間の餌食になってしまいかねません。完全とは言えないこの世界で自分を守るには、多少の“うわべ”や“偽意識”は仕方のないことです。

災害などの被災地へ多額の寄付をされる方々がいますが、彼らにも「好感度を上げよう」とか「寄付しないと世間から非難されそう」とか、そういった本心以外の感情は少なからずあるはずです。だからと言って、それは非難されるべきでは絶対にありません。むしろ、本心がどうあれ、寄付すること自体は本当に素晴らしい行為ですし、全ての人から称賛されるべきことです。

また、最初は「偽善」であったとしても、そのことから誰かを救えた経験を得ることで“人助け”の気持ちよさを知り、本心からの「善」を沢山与える人間へと成長するかもしれません。つまり「偽善」は「善」への進化の途上段階とも言えるのです。

この汚れた世界で、仮にうわべ(偽善)であったとしても「善」が為されたのであれば、それを非難するべきではありません。最悪なのは「偽善」などではなく、何も行動をせず、何も救わないことです。

 

3「事情」

 

「事情」という言葉が嫌いな理由は、その言葉が使われる“相手”や“シチュエーション”などにあります。試しにLINEのトーク検索で「事情」という単語を検索してみたところ、期待通りの面白い結果が現れました。

バイト先のリーダーや、あまり関わりのない部活の先輩、大学のうわべだけの付き合いの友人など、それほど親しくない人間とのトークには「事情」という言葉が何回も使用されており、逆に、親密度の高い友人ほど「事情」という言葉の出現回数は劇的に少なくなっていました。

それもそのはずで、「事情」という言葉は、固い雰囲気の改まった場で使用される傾向にあり、自分のプライベートと壁がある相手とのコミュニケーションなどで用いられるからです。親しい友人と楽しく話している時には「事情」という言葉はあまり出ないのです。

だからこそ、「事情」という言葉が使われると、相手と自分との間に急に壁ができたように感じてしまいますし、シリアスな雰囲気にもなるので、僕の中では日常であまり出てきてほしくない言葉の1つとなっているのです。

 

4「無駄」

 

「無駄」という言葉は、割と日常生活で頻繁に使用しているという方が多いと思います。僕もよく「そんなの無駄でしょ」とか「それって無駄じゃない」と言うセリフを他人へ使うことがあります。

しかし、「無駄」という言葉は、無自覚の内に他者を大きくキズつけてしまっている可能性があるのです。なぜなら、自分が「無駄」であると感じた他者の行為・行動が、その人にとっては“価値のあること”であったかもしれないからです。

 

tanamegane.hatenablog.com

 

この方がまさに記事中で指摘している通り、「無駄に見える」という視点は「価値観の違い」から生じるものであって、相手のことを理解しようとしていないセリフなのです。

思えば僕も、小学生の頃、給食の牛乳に付いてきたビニールの丸い部分(僕らはレンズと呼んでいた)を集めていて、担任の先生に「そんな無駄なこと辞めなさい!」と怒られたことがありました。当時の僕にとって牛乳のレンズは、何よりも価値のあるものでした。

 

5「自己満足」

 

これまで20年ちょっと生きてきて、色々な人から色々なシチュエーションで「自己満足かよ」「自己満足でしょ」などといったセリフを言われてきました。皆さんも一度は誰かに言われたことがあるのではないでしょうか。

しかし、僕はこの「自己満足」という言葉に疑問を抱いています。「満足」するのが「自己」で一体何の問題があるのかという話です。親や世間など、他者の評価がそんなに重要なのでしょうか。

たしかに、自分だけが満足していて周りの人が全員不満を抱いている状態は、健全であるとは言えません。けれど、自分自身が自分自身に満足してあげられないことは、それこそ最も不健全な状態ですよね。

ネガティブな意味だけでなく、ポジティブな意味で「自己満足」という言葉が広く使われるようになればと願っています。

 

この記事のまとめ

 

単語の存在自体が嫌いである場合、使われるシチュエーションが苦手である場合、他人を傷つけかねないので忌諱している場合、使われ方に不満がある場合、などなど、ある言葉が嫌いになる理由には、実に様々な原因や理由があります。

この機会に、皆さんも嫌いな言葉があるかどうか、探してみては如何でしょうか?自分の嫌いな言葉、あるいは好きな言葉について人と話し合うと、意外と盛り上がったりするかもしれませんよ!

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。