こんにちは。
ちょいと上から目線のような話題で恐縮なのですが、僕は昔から疑問に感じているトピックがあります。それは、世の中に“気温を客観的に感じ取れる人”があまりにも少なすぎるのではないかということです。
客観的に感じ取れば心地の良い気温であるはずなのに、多くの人は現在の気温を「暑い」か「寒い」かでしか判断したがらないのです。つまりは、気温というものを客観的ではなく相対的に判断してしまっているのです。
目次
20℃前後は快適な温度である
外の気温が10℃だと凍えるぐらい寒く、手袋やマフラーが欠かせませんよね。一方で30℃だと熱中症の危険があり、外はうだるぐらいの暑さになります。
対して、それらの真ん中の20℃という気温は、人間にとって非常に快適な温度であると言えます。蒸し暑いわけでもなく、凍えるほど寒いわけでもありません。服を着ていなければ若干の肌寒さはありますが、軽く上着を一枚着ていれば冷暖房無しで快適に過ごせますよね。
ところが、季節の変わり目にやってくる20℃という気温は、多くの人にとっては快適でなかったりするのです。
季節の変わり目の20℃は「暑い」or「寒い」
たとえば、連日35℃を超える真夏日が続いていたとします。そこから秋へと移り変わっていき、徐々に真夏日になる割合が下がっていきました。そしてある日、日中の気温が20℃になったとしましょう。
その場合、本来は快適である気温であるにも関わらず、多くの人は口々に「今日は寒い」「急に寒くなった」と言います。僕はそういう時に「丁度いい気温になってきましたね」と言うのですが、共感されないことがほとんどです。
逆に、最高気温が一桁しかいかない真冬日が続いていたとします。そこから春へと移り変わっていき、徐々に真冬日になる割合が下がっていきました。そしてある日、日中の気温が20℃になったとしましょう。
その場合、本来は快適である気温であるにも関わらず、多くの人は口々に「今日は暑い」「急に暑くなった」と言います。僕はそういう時に「丁度いい気温になってきましたね」と言うのですが、これまた共感されないことがほとんどです。
20℃は快適な温度でああるにも関わらず、真夏の日々からの20℃は「寒い」とされ、真冬からの20℃は「暑い」とされるのです。つまりは、相対的に気温を判断してしまっているということです。
快適な気温のない人生
真夏シーズンから急に気温が下がったり、真冬シーズンに急に気温が上がったりすると、寒くなったとか暑くなったと思ってしまう気持ちは分かります。実際、人間は急な気温変化が不得意な生き物ですからね。
しかし、そのように相対的に気温を判断してしまっていたら、一年間の内に僅かにやってくる“快適な気温”の日を快適だと思えなくなってしまいます。つまり、人生の大部分の日々を「暑い」か「寒い」かのどちらかで過ごしてしまうことになってしまうのです。
そのままでは、その人にとって“快適な気温の日”というものが極端に少なくなってしまうため、人生を損してしまう可能性が高くなってしまうのです。それを避けるためには、気温を相対的に感じるのではなく、客観的に捉える気持ちが重要になってきます。
気温を客観的に捉える方法
真夏日から気温が下がったときに「寒い」と感じてしまうときは、真冬の日々を思い浮かべます。手袋、マフラーをしていても身体の芯まで凍りそうで、風の冷気が針のように痛い真冬日のことを思い出すのです。
すると、今の気温が「寒い」というほどの物でもないということに気がつくでしょう。そうすることで、一年全体を通して今が最も丁度いい気温であると捉えることができます。
逆もまたしかりで、真冬日から気温が上がったときに「暑い」と感じてしまうときは、真夏の日々を思い浮かべます。肌が焼けるような日差しと熱気の息苦しさが身体全体を包み込んでくるようなあの真夏日を思い出すのです。
そうすることで、今の気温がいかに丁度いいものかを客観的に把握することができます。寒さで凍えもしないし、暑さで息苦しくもならないのですから。
もしくは、服装のせいで本当に暑かったり寒かったり感じてしまっているパターンも考えられます。真夏日のノリのまま、20℃の時に半袖半ズボンでいたら肌寒く感じて当然です。逆に、20℃でダウンコートとマフラーを付けていたら暑いに決まっています。
季節という概念に囚われることなく、その都度快適な服装を心がけましょう。快適な気温を感じるためには快適な服装でいることもとても重要なのです。
まとめ
あなたが「寒い」もしくは「暑い」と思い込んでしまっている気温は、もしかしたら丁度いい快適な気温かもしれません。意外と、気の持ちようひとつで気温は快適に感じたりします。
貴重な、丁度いい気温の季節を大切にして過ごしてください!
最後まで見てくれてありがとうございます。