こんにちは。
学生ならほとんどの人が一度は聞いたことがあるであろう言葉に「陰キャラ」「陽キャラ」というものがあります。実際に使ったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
分からない人のために意味を説明すると、陰キャラ=陰気な性格、陽キャラ=陽気なキャラということです。そのまんまですよね。
これらの言葉について、僕は今まで特段気にしたことはありませんでした。そういう言葉もあるんだなー程度の認識だったのです。
ところが先日!とある非常に不快な出来事が起こり、僕はこれらの言葉がとっても嫌いになりました(笑) その話も含めて今回は、陰キャラ・陽キャラという言葉について、僕が思うことを語っていこうと思います。
目次
不快な出来事について
大学で、とある友達と会話をしていました。すると、会話の流れでふと相手が「俺は陰キャだからさー」という話をし始めました。
しかし僕は疑問を抱きました。話し相手の彼は、飲みサーに所属しており、教育実習にも行くような活発な人だったからです。
そこで僕は「陰キャラなの?」と相手に質問してみました。すると相手は「うん、俺は陰キャだよ」と、やや不思議そうに返しました。
ここからです。すると彼は立て続けにこう言いました。
友「お前も陰キャラだよ」
心の中で (………ファ?) という声を挙げましたね。何を言っているんだこいつは、と。
僕がこのとき感じた疑問は2つです。1つは、その友達が何をもって僕が陰キャラだと言っているのかということ。もう1つは、それは他人が決めることなのか、ということです。
僕は自分自身を陰キャラとも陽キャラとも思ったことはありません。“普通”の人間だと思って過ごしていました。むしろ、友達も多くいる方だし、非常に恵まれた方だと感じていました。
そこで僕は彼に問いました。
「僕は自分で陰キャラだと思ったことはないけど、それって他人が決めることなの?笑」
すると彼はこう返しました。
「陽キャラからすると、やつら以外はみんな陰キャラなんだよ」
(いや、その“陽キャラ”って誰だYO!!!)
謎は深まるばかりでした。その後もいくつかやり取りをしたのですが、彼の主張を簡潔にまとめると
- 世の中には陰キャラか陽キャラのどちからしかいない(中間は存在しない)
- 陽キャラ以外は全員、陰キャラになる
- 俺は陰キャラ、つまり俺といるお前(僕)は陰キャラ
という内容です。このような会話がつい先日、僕と友人との間でなされました。非常に不快でしたね(笑) このときから、僕は陰キャラ・陽キャラという区別について深く考えるようになりました。
ではこれから、僕の思う陰キャラ・陽キャラという区別について語っていこうと思います。
陰キャラか陽キャラかは誰が決めるのか
一般的に陰キャラや陽キャラという言葉はよく使われていますが、特定の人物が陰キャラか陽キャラかというのは、一体誰が決めるものなのでしょうか。
色々と考えてみた結果、少なくとも他人が決めるものではないという結論に至りました。なぜなら、自分自身の性格を一番よく知っているのは自分だけだからです。
例えば、街で歩いている見知らぬ人とすれ違ったとします。その人はとても暗そうな外見で、服も地味だったとします。しかし、だからといって、その人が性格まで暗いのかどうかなんて分からないですよね。
一見、地味で暮らそうな恰好だったとしても、本当はとても明るく活発な性格かもしれません。逆に、とっても活発そうな外見をしていても、実は陰気で暗い性格の持ち主なのかもしれません。
さらに言えば、いくら相手と顔見知りだったとはいえ、相手の全てを知ることは到底無理なことです。学校では陰キャラと思われている人も、地元の友達との集まりでsの人は中心的な人物かもしれません。時と場合によって、人の見え方は全く変わってきます。
不当なカテゴライズ
しかし、今回の僕が体験したように、中には他人のことを陰キャラだ陽キャラだと決めつけたりする人も存在します。
上で述べた通り、特定の人物が陰キャラか陽キャラかどうかを他人が決めることはできません。それは、不当なカテゴライズなのです。一方的に決めつけた性格像を、他人である他者に押し付けているからです。
「俺と一緒にいるからお前は陰キャラ」
「陽キャラから見たらお前は陰キャラ」
という発言は、全て発言者の主観によって一方的に他人の性格を決めつけているだけなのです。そもそも、具体的に陽キャラというのが誰なのかすら明示していないのですから。
陽キャラ以外は全員陰キャラ?!
冒頭でも述べた通り、彼はまたこうも言っていました。
「陽キャラからすると、やつら以外はみんな陰キャラなんだよ」
彼の意見は「陽キャラたちは、自分らの仲間以外の人間のことを理解することのできない奴=陰キャラとして決めつけている」ということです。
僕からすると、これは真逆なのではないかと思います。
僕の経験上だと、明るく活発な人(陽キャラ)が、そうでない人たちのことを陰キャラと呼び区別しているのを見たことがありません。
逆に、自身を陰キャラであると自称している人が、明るく活発で大勢の人と行動をしている人達を「陽キャラ」と呼び区別している場面なら、幾度となく見たことがあります。
つまり、彼(僕の友達)の意見は真逆なのです。彼こそが、自分の理解できない範囲の人間(陽キャラ)を一方的に区別しているのです。
ところで、彼は、僕を陰キャラであると決めつけることによって何がしたかったのでしょうか。もしかしたら、「お前は俺が理解できる範囲の人間であれ!」ということだったのでしょうか。
そうだとしたら、陰キャラ・陽キャラとは非常に恐ろしい言葉ですね。他人をコントロールする際にも使われ、自身が他人を理解しない言い訳にも使われるのですから。
まとめ
- 友人に僕が陰キャラであると決めつけられる
- 陰キャラか陽キャラかは他人が決めることではない
- そもそもこの言葉は、発言者のエゴの塊である
明るく活発で、大勢で群れるような人種を理解できない。なぜなら自分は陰キャラだから。俺とお前は陰キャラだ。だからこうしていなければならない。
陰キャラ・陽キャラという言葉には、相手を理解しようとしない不寛容から来ている言葉なのだと僕は思います。
僕は、陰キャラでもなく陽キャラでもなく、「自分」を貫いて生きていきます。皆さんは、どうでしょうか。
最後まで見てくれてありがとうございます。