人生に地図はない

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「いじめられた側には何の問題もない」という考えが危険である理由

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こんにちは。

 

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皆さんの通っていた学校には「いじめ」がありましたか?僕は小学生の頃、学校で数え切れないほどいじめの現場を見てきました。日本全国どこでもあるように、僕の学校でも「いじめ」は深刻な問題となっていたのです。

 

最近、そんな厄介な問題である「いじめ」というトピックに関して、友人と話し合う機会がありました。この問題に対する考え方は、人それぞれ様々なものがありますし、中には対立する意見もあったりします。

 

案の定、今回も、僕と友人との間で対立する意見がありました。それは“いじめられっ子側の責任”についてです。

 

個人的な意見ですが、僕は、いじめは“いじめられた側”にも多少の問題はあると考えています。それに対して友人は、いじめは100%いじめた側が悪い、いじめられた側は決して悪くないと考えています。

 

たしかに、友人の言う気持ちも分かります。そりゃあいじめた側の方が5億パーセント悪いに決まっています。しかし、だからと言っていじめられた側に何の問題もないと決めるのは絶対に違うと僕は思っています。

 

※今回の話は非常にセンシティブなので、この記事を不快に思う人もいるかもしれません。少しでも内容が気になるという方は続きをご覧ください。

 

 

目次

 

 

いじめられっ子の問題点

 

何度も言っておきますが、いじめは、いかなる理由があってもする側が5億パーセント悪いです。いじめは最低な行為ですし、人として非常にレベルが低いと思います。断固として容認できません。

 

しかし、厳しい言い方に聞こえると思いますが、いじめられた側に全く問題がないということはありません。少なからず、いじめられた側にも多少の原因や問題はあります。

 

いじめの始まりは、周りと違っていたり、空気が読めなかったり、身体や勉強面で周りに劣っていたりする人がターゲットになりやすいです。しかしだからと言って、周りと違っていることや劣っていることが問題と言っているのではありません。

 

いじめられっ子の問題点は、抵抗するのを辞めてしまうことです。そもそもいじめはなぜ続くのか。それは“いじめのターゲットが抵抗してこないから”です。

 

もちろん、いじめる人の人間性のレベルが低いという原因もありますが、悲しいかな、レベルの低い人間は必然的に存在します。それはもう防ぎようがありません。ならば、こちらが対策をするしかないのです。

 

犯罪に関してもそうです。悲しいですが、物を盗んだり人を殺したりする人間はどの社会にも必ず存在します。商品を盗む側が絶対的に悪いんだから、たとえ何の対策をしていなくても私たちの店は問題ない、という論理は通用しませんよね。

 

つまり何が言いたいかというと、いじめられっ子は、親や教師、相手の家族や身近な教育関係者、友人など、ありとあらゆる周りの人と相談し、仲間を付け、抵抗するべきなのです。もしくは自分自身の口から、ハッキリと抵抗の意志を伝えるのです。

 

それは、少なからず“不可能なこと”ではないはずです。相談すること、抵抗することは、ほんの少しの勇気と行動でできることです。それができないこと。それこそが、いじめられる側の問題点なのです。

 

 

なぜ抵抗できないのか

 

いじめられっ子がいじめっ子に抵抗できない理由は、いじめられっ子に抵抗することへの恐怖感であったり、屈辱感があり誰にも打ち明けられないためであったりと様々あります。

 

つまりは、諦めてしまっているか、心身の弱さから抵抗する気力を起こせないかです。ほんの少しの勇気を出せば一気に形勢逆転できるかもしれないのに、いじめられている現状維持を望んでしまいます。

 

また、グループ内でいじめられているが、そこ以外に居場所がないため、いじめっ子に逆らうことができないというパターンもあります。そのグループを追い出されたら世界が終わってしまうという感覚になっており、本当は逃げ出してもいいはずが逃げだせないのです。

 

当人からしたら、いじめられていることよりも、居場所を失う(世界を失う)ことの方がより深刻な問題なのです。そのため、いじめられている現状に耐えるしか方法がないのです。このパターンで苦しんでいる知人を、僕は直接聞いたことがあります。

 

「今振り返ったら完全にバカなことをしていたと感じるが、当時は深刻に悩んでいたし、本気でこの世に居場所がなくなると感じていたよ」

 

子どもの頃は基本的にコミュニティが狭く、たとえいじめてくる奴がいる嫌な環境でも貴重な居場所となってしまうことが多くあるんですね。実際には居場所なんて幾らでも作れますが、人生経験の薄い時期には難しいことなのでしょう。

 

 

周りの人ができること

 

以上のように、いじめられっ子は、恐怖心や孤立してしまう不安などからいじめられている現状を抜け出せずに苦しんでいるのです。いじめられていることの惨めさや屈辱感から、周りを頼ることができないでいることもあります。

 

そんな状況で力強いものは、周りの人間たちの“気づき”です。周りの人がいじめられている人のことに気づき協力すれば、そこには大きな勇気と自信が生まれます。他にも居場所はあるということを証明することにもなります。

 

いじめられっ子が自分から言うことができなくても、周りの人が気づいて行動に移すことができれば、多くのいじめは止めることができるはずです。そういう僕自身も、小学6年生の時、いじめられているクラスメイトの救済に関与したことがあります。

 

そのいじめられっ子は、他クラスの3人組から執拗ないじめを受けていました。そのことに気がついたクラスの女子が、周りにそのことを伝え、僕のところにも情報が回ってきました。実際にいじめられている現場を見たりもしました。

 

そしてある日の放課後、そのいじめられっ子と、いじめの実態を知っているクラスメイト十数人が集まり、一緒に担任の教師へすべてを話しました。相手は3人ですが、こちらは10人以上です。いじめられっ子も、かなり自信がついたようです。

 

後日、僕らといじめられっ子といじめっ子との話し合いになり、それ以降、その3人組によるいじめはなくなりました。周りが気づいて、集団で立ち向かったことによって、このいじめは収束できたのです。

 

 

「いじめられた側に問題ない」は危険

 

弱くて立ち向かえないいじめられっ子には、周りの“気づき”が重要になるという話を前章でしました。もちろん周りの人々が行動に移すのは重要なのですが、もっと大切な事があります。それは、いじめられっ子本人が変わること、強くなることです。

 

たとえ今回は周りの人のお陰で助かったとしても、本人が変わらなければ、またいつか別の環境で同じようないじめにあってしまうかもしれません。しかし、本人が変われば、再びいじめられる可能性は低くなります。

 

自分がしっかりと抵抗する力を付ければ、いじめをしてくる奴は手出しできなくなりますし、何より、今度は自分自身が他人を救う側の人間になることだってできます。

 

しかし、“いじめられた側には何も問題がない”という認識であったらどうでしょう。何も問題がないということは、そのままでいいということですよね。であれば、いじめられていた側は、違う環境に行くことで再びいじめの被害にあってしまう可能性があります。

 

それでは何も状況が良くなりませんし、本人も辛いですよね。そういった理由から僕は、いじめられた側にも問題があると主張しているのです。現状のまま変わらずにいるのではなく、いじめられにくい自分に代わる努力をするべきだと思うのです。

 

“いじめられた側にも問題がある”というセリフは、いじめを肯定し、いじめられっ子を責めるようなニュアンスに聞こえるかもしれません。しかし僕は、同じような辛い経験を当人がもう二度と味わわなくても済むようにしたいだけなのです。

 

 

まとめ

 

  • いじめられっ子は、恐怖心や孤立してしまう不安、あるいは屈辱感などから、いじめの現状を周りに訴えることができないでいる。

 

  • 周りの人はいじめの事実にいち早く“気づき”、団結して行動をすることが求められる。

 

  • いじめられっ子に全く問題がないとすることは、本人がいじめられない人間へと変わることを妨げかねないので、危険である。

 

 

いじめは大人になってからもあるとは思いますが、学生時代のいじめは特に深刻なものになりやすいです。現在学生で周りにいじめられている方がいるという人は、是非この記事を参考にして、行動に移してみて下さい。

 

それが絶対に良い結果となると偉ぶって断言することはできませんが、きっと何かを変えることはできるはずです。

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。