人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

不老不死技術がもたらす最悪の未来~今こそ幸福を考えるとき~

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こんにちは。

 

おそらく誰もが一度はこう考えたことがあると思います。

 

 

「もしも自分が不老不死だったら。」

 

 

死は誰だって怖いものです。不老不死はその恐怖から解放された状態です。

 

 

しかし、少し考えれば分かることですが、不老不死というものは死よりも怖いことです。もしも自分だけが不老不死になったら、親しい人間が次々と死んでいく様を見続けることになります。無限の悲しみの連鎖が続くのです。

 

 

そう考えると、不老不死って良いことばかりではないですよね。

 

 

ところが近い将来、このペースで技術が進歩していけば、不老不死に近い状態を実現できる可能性があるのです。

 

 

それは「老い」の克服です。

 

 

人は細胞が古くなることによって老化が進行します。なので、この細胞を新しいものに変えたりする技術が確立すれば、人は老化することが無くなります。

 

 

もちろん、他にも技術的困難はいくつもありますが、急速に科学技術が進歩する現在です。完全に否定することはできません。

 

 

老化することがない。つまり、病気や事故に遭わなければ、理論上は永遠に生きることができるのです。

 

 

 

さすがに永遠の命は無理だけれども、ずっと若いままでいられる。寿命も何倍も伸びる。これは素晴らしいことのように感じるかもしれません。

 

 

しかし僕は、そうした技術が開発されたら、人間の幸福度は地の底に落ちると考えています。膨大な悲しみや憎しみに包まれた社会が到来してしまうでしょう。

 

 

それはなぜか。大きく分けて二つの理由があります。

 

 

 

一つ目の理由は、不平等です。

 

老化防止技術(不老不死技術)が確立しても、その恩恵を受けられない人が居ます。貧しい人々です。食料を平等に供給することすらできないのが今の人間社会です。この技術を全ての人に与えることなど到底できないでしょう。

 

つまり、貧富の差でとてつもない命の格差が生じてしまうのです。

 

貧しい人にも金持ちにも平等にやってくるのが死でした。その死すら、平等ではなくなってしまうのです。

 

すると、死ぬことにすら不満を感じる貧しい人々が多発するでしょう。

 

 

 

二つ目の理由は、死の不慣れです。

 

老化しない世界では、死ぬということが非常に稀な出来事となります。現在では、人は年を取り必ず死にます。そうすると、親しい人や親が死んでしまうことに諦めがつきます。自分自身に寿命が来ても、寿命ならしょうがないと割り切れるのです。

 

死が普通でない社会では、死ぬということを簡単に受け入れられなくなります。しかし、死は必ず何かしらの形でやってくるのです。

 

200年間共に生きてきた親が、突然事故死したらどうでしょう。300年一緒に寄り添ってきた妻が難病で亡くしたらどう感じるでしょう。あなたはその事実を決して受け入れられないはずです。

 

老いが来なくても、永遠に生きるということは絶対にできません。必ず何かしらの原因で死は来ます。寿命という自然な死以外の原因によってです。

 

 

 

 

以上の理由で、不老不死社会が到来したら人間の幸福度は限りなく低下してしまうでしょう。

 

 

死があるからこそ人は、限られた生を一生懸命生きよう、大切にしようと思うのです。

 

 

いつか来る終わりまで、精一杯生きましょう!

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。