人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

久々にガラケーを開いたら、目から熱いものがこみ上げてきた

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こんにちは。

 

 

先日、6年前に解約したガラケーを久しぶりに起動してみました。解約した後も写真データの整理のために何回か開いていたのですが、ここ最近は全く触れていませんでした。おそらく数年ぶりだったと思います。

 

 

充電が完了し、電源を入れると懐かしの起動画面が現れました。色々と弄ってみたのですが、機能自体は全く衰えておらず、故障もありませんでした。

 

 

最初に買ったiPhone4はもうぶっ壊れて電源がつかないのに、購入して11年以上経つこのガラケーは今も普通に使用できます。

 

 

しかも、そのガラケーは小学5年生の頃から中学3年生までの5年間にわたって使用し続けた代物です。2年で交換するのが一般的な「スマホ」に比べるととんでもない持ち具合ですよね。さすがMade In Japanですね。

 

 

そんな思い出の詰まったガラケーですが、いざ起動してみると、様々な想いと共に目から熱いものがこみ上げてきました。なぜ僕がそのような感慨深い気持ちになったのか。今回はその要因について話していこうと思います。

 

 

 

1.思い出が鮮明に蘇る

 

まずガラケーを開くと、6~9年前の中学生時代の記憶が鮮明に蘇ってきました。

 

 

写真フォルダには当時撮影した写真が、メールフォルダには当時のメールが、音楽フォルダには着メロが、全てが当時のまま残されています。

 

 

特に、メールの破壊力は半端なかったです。

 

「明日遊ぼうぜー」とか「今日は体育祭お疲れ!」などといった、中学生の頃の何気ない会話がそのまま残っているのです。まるで、昨日まで中学生だったのでは?と思ってしまうくらい、当時の記憶が洪水のように傾れ込んできました。

 

 

学生時代は良かったなと感じました。一応、今もまだ学生なんですけどね(笑)

 

 

 

2.時の流れの壮大さ

 

もう一つは、時の流れの壮大さに感慨深さを感じたことです。当時の写真フォルダを見ると、とにかく友達がみんな若いです(笑)

 

 

20歳を超えた今でもずっと一緒に遊んでいるので、お互いの成長にはあまり実感がないのですが、写真を見ると一目瞭然でした。とにかく全員あまりにも子供すぎて、時の流れには本当に驚きました。

 

 

それと、ケータイ自体の性能の進化ですよね。ガラケーでメールを振り返っていて、ふと写真を見たくなったので、メール画面を閉じて写真フォルダを開きました。

 

 

そして、またメール画面に戻ろうとすると、画面が最初からになってしまいました。当然のことですが、ガラケーでは同時に2つのアプリケーションを開くことができません。

 

 

スマホになってからは当たり前のようにやっていることが、ガラケーではできなかったのです。技術の進歩は早いですね。

 

 

 

3.結構幸せになれた!

 

そして最も感慨深かったのが、「イマ」についてです。今回ガラケーを開くことにより、僕は過去にタイムスリップした感覚を味わいました。

 

 

それによって、過去の視点から「イマ」を見ることもできました。6~8年前のあの中学生時代、二十歳になった自分を想像することなど、到底できませんでした。

 

 

自分が何をやっているのか、全く分からない。友達と一緒に過ごせているのか。病気になってはいないか。全てが暗闇でした。未来に対して、とても不安を抱いていました。

 

 

そう考えてみると、「イマ」の自分は結構幸せに過ごせているなと実感することができました。

 

 

なぜなら、僕は今も健康に過ごせているし、友達だって変わらず元気に遊べているし、普通に就活もしているからです。

 

 

もちろん大変なことも沢山あるけど、不安や苦しみなどはありません。そんな幸せな今をまず実感することができました。

 

 

 

まとめ

 

B'zの「さよならなんかは言わせない」という曲に、こんな詞があります。

 

 

“昔のことだけ輝いてる そんなクラい毎日は過ごしたくない”

 

 

ガラケーを開くことで、「イマ」も昔と変わらず輝いているということが実感できました。

 

 

皆さんも、昔のケータイを開いてみてはいかがでしょうか。

 

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最後まで見てくれてありがとうございます。