人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

自由な選択があることは個人の「幸せ」につながるのか ~現代人に必要な思考法とは~

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こんにちは。

 

 

皆さんは自由について考えたことが在りますか?あなたは今自由ですか?そう感じることができていますか?

 

人によってそれぞれ自由の実感は違うと思いますが、少なくとも私たちが今生きている社会は、人類史上最も「自由」な社会であると言えます。

 

長い間、世界中のあらゆる社会は少数の権力者によって動かされてきました。いわゆる独裁政治とか、貴族政治というものです。多くの一般庶民の地位は非常に低いものでした。

 

日本においても、貴族や武士、皇族が強い権力を持ち、庶民の自由は限られていました。江戸時代においても、個人の身分はほぼ固定されていて、職業選択などの自由は限られていました。

 

男女の格差や機会の格差が縮まり、あらゆる選択が個人単位で自由にできる社会になったのは、本当にごく最近のことなのです。

 

そして今なお、世界はより自由な社会を目指してますます邁進しようとしています。しかし、そこである疑問が生じます。それは、自由が増えれば幸せになれるのかというものです。

 

 

目次

 

 

自由(freedom)とは何か

 

僕らは気軽に自由自由と口にしますが、自由とは一体どういうことなのでしょうか。ネットで調べてみると「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること」という定義が出てきます。

 

つまりは、制限や制約といったものが少なく、自己で決めることのできる選択肢が多ければ多いほど、より「自由」な状態であるということです。

 

これは、考えてみれば何となく分かりますよね。お昼ご飯を食べに行くことができるお店が1店しかないのと、10店あるのとでは、後者がより自由だと実感できますよね。

 

「自由」については何となく分かりました。そこで次は「幸せ」についてみていこうと思います。

 

 

幸せ(hapiness)とは

 

それでは「幸せ」とはどういう状態の事なのでしょうか。調べてみると「運がよいこと」「幸福であること」「心が満ち足りていること」など、様々な定義が出てきます。

 

しかし、人間が感じる「幸せ」という意味では、「心が満ち足りていること」が最も当てはまるのではないかなと思います。

 

人間は誰でも「幸せ」を追求して生きています。本質的に幸せになりたくない人などいません。幸せは誰もが望むことです。そして人は、より多くの人が幸せになれるように社会を変えてきました。つまりは、より自由な社会の実現です。

 

人が心を満たす=幸せになるには、なにかしらの制約や制限があってはいけませんよね。つまり、多くの人が制限なく行動できるよう、制約なく選択できるよう、社会は自由を目指して進んできたのです。

 

 

自由な社会=幸せ?

 

ここで、最初の疑問に戻ります。そう、問題は“自由があれば幸せになれるか”ということです。果たして、自由であることは幸せに結びつくのでしょうか。

 

上で述べた通り、「自由」とは選択肢が多い状態のことです。一方で「幸せ」は心が満ち足りていることです。これは一致しているのでしょうか。

 

僕自身の考えでは、それは必ずしもイコールにはならないと思います。たしかに、自由があるおかげで幸せになれる一面もあります。

 

しかし、自由過ぎることはかえって不幸の原因にもなるのです。なぜなら、自由の選択が可能な社会では、人間が欲望を無限に追求することを可能にしてしまうからです。

 

 

満たされることがない社会

 

現代は非常に自由な社会です。全ての人にあらゆる選択肢が与えらえています。しかし、それはあくまで選択肢があるというだけで、全ての人がそれを実現できることはありません。枠が限られているからです。そこには必ず競争が生まれます。

 

目の前に選択肢が与えられていても、それを手に入れるためには、努力をし、他人を蹴散らさなければなりません。自分自身のポジションは、競争の先にしか手に入れられないのです。

 

しかし、これは逆に言えば、競争に勝てさえすればどんなポジションにも行けてしまうということです。これは、人間が欲望を無限に追求できてしまうということに繋がります。

 

卑近な例を挙げてみましょう。例えば「大学」です。熾烈な受験戦争を潜り抜けやっと入った大学でも、「もう少し勉強を頑張ればあと一ランク高い大学に入れたのに」と、現状に満足できない人がいます。

 

大学以外でも、就職でも何でも当てはまります。全てに選択肢が開かれているからこそ、自分次第でどこにも行けるということが分かっているからこそ、現状に物足りなさを感じ、満足ができなくなってしまうのです。

 

 

身分制度の方が幸せだった!?

 

変わった意見だと思われるかもしれませんが、身分制度があった江戸時代の人々は、自由がある現代よりも幸せだったと大真面目に考える人もいるそうです。

 

一見、決められた身分以外になることができないというのは、自由がなく、とても辛いように感じますよね。農民の家に生まれれば、自分も必ず農民として生涯を終えるということです。

 

しかし僕は、身分制度の方が幸せというのは一理あると思っています。なぜなら、将来についてあれこれ考える必要もなく、自分の将来に対しての責任がずっと軽くなるからです。

 

何の仕事に就くか自由な現代では、全て自分に責任があります。仕事が辛くてやめたくなったり、入る会社間違えたなと思っても、それは自分のせいとなってしまいます。

 

しかし、初めから道が決められているのなら、自分の持つべき責任というのはずっと軽くなります。それはそれで気楽ですよね。

 

「最初から道が決められてしまうなんて、不自由だ」と思うかもしれませんが、それはあらゆる選択肢が前提にある現代の価値観で考えているからです。

 

当時、自分がやりたい仕事をやるということは、絶対に不可能なことでした。人は、絶対に不可能なことに対しては、不自由ともなんとも思わないのです。

 

例えば、200年間生きるというのは不可能ですよね。すると200年間生きられないことに関して悔しさとか虚しさは感じないはずです。

 

ところが、科学技術が進んで、一部のお金持ちだけが高い手術を受け、200年間生きることが可能な世の中になったとしましょう。つまり、200年間生きることが(お金さえ払えれば)不可能ではない世の中になったのです。

 

すると、あなたは、自分が200年間生きられないことに悔しさや虚しさを感じるでしょう。可能なのにできない」という状況は「はじめから不可能」よりもはるかに苦しいのです。

 

 

どうすれば幸せになれるか

 

では、現代の人が幸せになるにはどうすればいいのか。それには大きく分けて2つあります。1つは、過度な欲を捨てること。もう1つは、今あるものに感謝することです。

 

より上へ、より上へと、ひたすら高いところを目指すことは素晴らしいことなのですが、それでは幸せになれない確率が非常に高くなります。

 

なぜなら、いくら前より高いところに辿り着いたとしても、更に高いところに意識があるため、現状に満足できないからです。いくら上がっても上がっても、満足できないので、幸せになれないのです。

 

上を目指すことを辞めたら少しも満足が得られないのでは、と思う人もいるでしょう。そういうことはありません。今あるものに感謝をすればいいのです。僕たちは、今無いものに対して目を向けがちで、今あるものに対しては敬意を払わなくなってしまうのです。

 

書店に置いてある本はとても輝いて見えるのに、いざ買って家に置いていたらそれほど魅力的ではなくなってしまった、ということはありませんか?それと同じです。

 

手にしてしまったら、それが「当たり前」になってしまい、何の感情も沸かなくなってしまうのです。常に、今あるものに感謝することを続けましょう。そうすれば、心が少しずつ満たされていくはずです。

 

 

まとめ

 

  • 自由があれば幸せになれるかというと、そうは限らない。自由過ぎるからこそ、際限なく高みを目指し、現状の自分に満足が得られなくなってしまう。

 

  • 幸せは、心が満たされてこそ感じるものであって、「今無いもの」に目を向け続けていたら、いつまでたっても心は満たされず、幸せになることはできない。

 

  • 勇気をもって、過度な欲を捨てよう。「今あるもの」に目を向け、現状の自分に満足しよう。そう思えれば、幸せは直ぐに目の前にやってくる。

 

 

皆さんが、幸せになりますように!

 

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最後まで見てくれてありがとうございます。