人生に地図はない

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人生に地図はありません。どんなにブレようが道を外そうがそれはあなたの人生です。

塾には関わらない方がいい!~バイト先の塾がクソ過ぎた話~

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こんにちは。

 

 

僕は以前、とある塾で塾講師のアルバイトをしていました。昔から人に何かを教えるのが好きで、また、先生という職業に少しだけ憧れを感じたりもしていました。

 

そういった理由から、塾講師のアルバイトは最高の条件だと思ったのです。そして、予想通り仕事の内容は面白く、生徒との交流もとても楽しかったです。

 

しかし、バイトをし始めて一年ちょっと過ぎたあたりから、段々とバイトを辞めたいと思うようになってきました。

 

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もちろん、仕事で大変な面もありました。けれど、何もかも楽なバイトなどはそうそう存在しないということは最初から心得ていたので、そこの面は大した問題ではありませんでした。

 

では、何が問題だったのか。僕が辞めようと決意するようになったキッカケは、規則に縛られ自由に働くことのできない環境です。僕のバイト先の塾は、非常に融通の利かない職場だったのです。

 

たしかに、組織として存在する以上ある程度の規則に縛られることは仕方のないことです。しかし、そんな規則に縛られ、単純な問題を複雑なものにしてしまったり、生産性を著しく悪化させてしまっていたのです。

 

今回はそんな昔のバイト先である塾の話を、具体的な例を挙げながら語っていこうと思います。

 

 

目次

 

 

生徒よりも規則

 

僕が働いていた塾では、授業の際に使用する教科書が塾で指定されていました。しかし、その教科書はどうも図が少なかったり、解説が省略されていたりして、生徒に教えるには少し分かりづらいものになっていたのです。

 

僕だけでなく、正社員やベテランの先生方も皆、同じ不満を抱えていました。そこで僕は自分でネットを調べ、分かりやすいと思ったフリー教材を印刷して授業に用いることにしました。

 

案の定、生徒も分かりやすいと言ってくれて、内容をきちんと理解することができていました!僕も非常に嬉しかったのを覚えています。しかし、その日の授業後、室長から話があると呼び出されました。

 

その話の内容を要約すると “塾が指定した教材以外は授業で使用しないようにしてほしい” とのこと。理由は “教える講師によって差が出てしまい公平性に欠けるから” だそうです。

 

それを言われたときは黙って納得したのですが、後からよくよく考えてみればおかしな話です。なぜなら、そもそも教える講師の能力差によって差が出てしまうからです。

 

正社員で勤三数十年のベテラン講師もいれば、バイトで数カ月しか経験のない講師もいます。実力不足で、半年も経たずに辞めていく講師も大勢見てきました。そもそも、教える講師の実力が異なっている点で、公平性など保てていないのです。

 

僕自身も、特別教えるのが上手だったわけではありませんし、むしろ能力は低い方でした。それなら、その講師に合った使いやすい教材で、やりやすい授業を行った方が公平ではありませんかね。

 

また、講師間で異なる教材を使うのがダメだからといって、指定したもの以外は認めないという姿勢も納得できません。よりよいと思う教材があれば、全員で話し合って今後その教科書を使うかを決める風にすれば効率もいいのではないでしょうか。

 

 

現実よりもカリキュラム

 

高校受験シーズンに差し掛かろうとしていた時期、中3のある生徒がいました。彼は受験生であるにも関わらず、英語の基礎中の基礎を理解していなかったのです。

 

長文を読むというレベルなど雲の上の話で、be動詞の変化すらまともにできていなかったのです。彼自身も、受験は落ちたらシャレにならないということで焦ってはいましたが、何から勉強したらいいか分からないという状況でした。

 

そこで、僕や僕以外で彼を担当する講師陣は、まず彼に基礎を理解させようと、本来やるべき長文読解のコマを使って英語の基礎から教え始めました。まずは基礎を理解していないことには何も始まらないと判断したからです。

 

しかし、ここで室長から「待った」が掛かりました。受験シーズン直前で、もうコマの余裕は残っていないので、カリキュラムの変更は一切認められないという通達でした。基礎の部分の学習についてはHW(宿題)で対応するようにとのことです。

 

僕達は絶望しました。そもそもその生徒は、基礎の勉強の仕方が分からないから困っているというのに、それを自習でやらせろというのは無茶な話です。たしかに、時期的に余裕がなかったのは分かりますが、それは本人にとって絶対に良くないと思いました。

 

結局その生徒に対しては、基礎が全く固まらないまま、授業では長文・過去問を解かせるという状況がしばらく続きました。直前になって本当に時間が足りなくなり、その生徒はコマを増やすという選択に迫られましたが、結局志望校には合格させてあげられませんでした。

 

これほど“急がば回れ”という言葉が正しいと感じさせられた経験は、後にも先にもありません。現場(講師陣)と室長との差が、この件でハッキリと浮き彫りになりました。

 

 

効率よりも慣習

 

僕の働いていた塾では、変な規則やルールがいくつもありました。その大部分に関しては、組織を動かしていくために仕方がないことだと妥協していたのですが、どう考えても非効率的で、生産性を著しく落としているとしか思えない規則もありました。

 

最たる例として挙げられるのは「勤務時のスーツ着用」です。僕の働いていた塾では、講師は全員スーツを着用することが義務付けられていました。これが業務に多くの弊害をもたらしていました。

 

例えば、こんなことがありました。本来授業を入れていた講師が風邪をひいてしまい、急きょヘルプを呼ばなければならない事態が発生しました。そして、そのヘルプの連絡は外出中の僕のところにも掛かってきました。

 

「時間がギリギリなんだけど、次のコマ来てもらえる?」

 

直接塾へ向かう場合は全然間に合うのですが、それはできませんでした。なぜなら、そのとき僕はスーツを着ていなかったからです!

 

塾は駅のすぐそばなので、外出先から直接向かえば難なく間に合います。しかし、一旦スーツを取りに家に帰り、スーツを着て、そこから塾のある駅前に戻ってくるとなると、全然間に合わないのです。

 

こんなことが、僕だけでなく多くの講師の間で頻繁に発生していました。たかがスーツで、しょっちゅう塾を回せなくなる緊急事態に陥っていたのです。

 

これは、本来スーツ着用を義務付けていなければ解決できる問題です。しかし、なぜかそこだけは絶対に譲れないようです。定例ミーティングで何度もこの問題を取り上げましたが、一向に改善される気配はありませんでした。

 

ヘルプの人員体制を拡充させたりとか、もし緊急に呼ばれたら行けるかどうかも日程に記述するようにしたりとか、予備のスーツを教室に置くスペースを設けるかとか、無駄な改善策が次々と提案されました。

 

そもそも、スーツを撤廃すれば全て丸く収まる話です。現に、講師は私服の上に白衣を着るだけというスタイルの塾もあります。慣習とか規則に縛られ、勝手に問題をややこしくしているのです。

 

 

まとめ

 

  • 公平性を重視しすぎたため、全員が平等に苦しくなる共〇主義的制度。

 

  • 現実よりも紙の数字が大事な上と、それに苦しむ現場。

 

  • 誰も得をしない慣習に縛られ、少しずつ腐っていく組織。

 

 

以上が、僕がバイトをしていた塾の話です。一つ言えることは、仕事自体はとても楽しかったし、生徒との交流はとても面白かったということです。

 

ただ、やはり環境が悪すぎましたね。勤続日数が長くなり、立場が上になっていくと、更に規則に縛られることが増えていき、全てが嫌になったのです。

 

辞めて、本当に良かったと思います。そして、勉強は学校の先生に教えてもらうことが一番だと、つくづく感じます。この記事を見た皆さんがどういう立場なのかは分かりませんが、基本、塾には関わらない人生の方がベターだと思います。

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。