人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

視力悪い自慢はなぜ繰り広げられのか

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こんにちは。

 

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僕は最近、大学の視力検査を受けて、視力が0.7から0.2まで落ちていたことが発覚しました。僕は、高校生くらいまではかなり目が良い方の人間だったので、このことには割と本気でショックをうけています。

 

 

ところが、この話を友達に話すと、「全然良いじゃん!俺なんて0.1切ってるし」「俺なんか0.02だぜ」と言った話ばかり聞きます。

 

 

下には下が居るのか!と驚かされましたが、ある一点が少し気になりました。それは、目が悪い人は、ナゼかそのことをどこか自慢風に言う人が多いということです。

 

 

普通は、目が悪いことって何の得にもなりませんし、誇りにもならないと思います。なので、本来は目が悪いことを言うときは本当に残念そうに言うのが普通です。それなのになぜ、目が悪いことを競い合うような会話が勃発するのでしょうか。

 

 

自慢は普通、多くの人と自分は違うということをアピールするためにするものです。すなわち視力の場合も、「俺はこんなに視力が悪い。人とは違う。」といったニュアンスで言っているのでしょうか。

 

 

だとすると、それは全くの見当違いです。なぜなら、日本人の大多数が“目が悪い”からです。日本経済新聞の記事に次のようなものがあります。

 

 

視力1.0未満、高校生過去最高の65% 学校保健調査 :日本経済新聞

 

 

文部科学省の正式な調査により、日本の高校生の65%が視力1.0にも満たないということが明らかになっているのです。高校生で既に半数以上もの人が“目が悪い”のです。大学生なら尚更でしょう。

 

 

つまり何が言えるのかというと、“目が悪い”ということは、日本社会においては超当たり前で、普通で、ありふれたこと、ということです。むしろ、目が良いという人こそが、本当に少数派で、貴重で、珍しい存在なのです。

 

 

この記事をご覧になっている“目が良い”方に伝えます。あなたは、とても貴重な存在なのです。もっと誇りを持つべきです。目が悪いことを競い合う社会ではなく、目が良いことを競い合うような社会を実現させましょう。

 

 

まとめ

 

「普通」のことをあえて自慢するようなことはしませんよね。つまり、日本人の多くの認識として、“自分は平均より目が悪い”と思っている人が多いのではと思います。

 

実際は、目が悪いことはごくごく平均的なのです。目が良いという人こそが、真の少数派なのです。

 

 

奴隷の鎖自慢のようなことをしていたって、社会は良い方向には向かいません。「俺今月残業60時間だぜ」「俺なんて70時間だぜ」なんて会話を繰り広げている限り、ブラック企業は無くなりません。

 

 

これからは、良いことを自慢していくようにしましょう。ちなみに僕は、社会人になったら直ぐにレーシックを受けようと考えています。裸眼視力1.0という、特権階級になるために。

 

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。