人生に地図はない

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経済的自由と幸せに生きる方法を日々模索する、社会人ブロガーによる社会系雑記ブログ

【衝撃】コミュ障は「話せない」人のことではない!~本当のコミュ障は○○~

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日々生活をしていると、頻繁に「コミュ障」というワードを耳にします。サークルで他校の人と飲み会に行くとなると「俺はコミュ障だから…」と参加を渋る人がいます。そういう自分も、他人と話すのはかなり苦手です。

 

 

ある程度仲良くなった人となら全然話せるのですが、初対面の人が相手だとどこか恥ずかしくなってしまいます。僕はこれをコミュ障だと思い込んでいました。

 

 

しかし、最近ある凄い人に出会ったことで、僕の中のコミュ障の定義が変わりました。今までの定義だと “コミュ障=話せない人” でしたが、それは間違いでした。コミュ障は話せないというわけではないのです。

 

 

初対面の人と話せないという人は、ただ単に人一倍恥ずかしがり屋なだけなのです。では、本当のコミュ障とはどういう人のことなのか。

 

 

 

僕が再定義した本当のコミュ障、それは…

 

 

 

無意識に話すことが目的になっている人です。

 

 

 

どういうことか話していこうと思います。

 

 

 

 

僕が会った衝撃の人

 

去年の12月の話ですが、とある企業の説明会に参加しました。そこで参加者の学生で5人一組のグループを組まされました。そのグループで座談会なるものが開かれました。

 

 

まずは一人ずつ、名前と大学を言うだけの簡単な自己紹介をしました。全員の自己紹介が済むと、特に話すこともなく沈黙が続いていました。

 

 

すると、一人の学生が口を開きました。僕は、出身はどこですか、とか、学部は何ですか、という話題が飛んでくると思いました。しかしその人が出した話題は “今自分がハマっているゲーム” についてだったのです。

 

 

「あのー、僕今、××っていうゲームにハマっているんですよ」という話出しでした。誰かに話を振るわけでもなく、ただ永遠とその人は、自分が休日にしているゲームの話を僕たちにし続けたのです(笑)

 

 

僕も反応に困りましたし、隣にいた女子も明らかに引いています。彼は本当によく喋りました。しかし今考えてみると、彼はコミュ障だったと思うのです。

 

 

好きなことをひたすら話し続ける、それはきっと喋っている本人は楽しいと思います。しかしそれは、相手のことを考えていない行為です。自分が喋りたいことを喋れればいい。話すことが目的となっているのです。

 

 

説明会などで初対面同士が集まる場においては、会話は親睦を図るための手段であるべきです。なので、学部は何とか、出身はどことか、当たり障りのない内容でいいのです。

 

 

この、会話を手段として使うか目的として使うかを区別できない人こそが、真のコミュ障なのではないでしょうか。

 

 

 

他の事例

 

また、会話をしていて必ず自分の話をするという人も、上と同じコミュ障ではないかと思います。僕の友達にも何人かそういう人がいます。

 

 

簡単にその友達の例を挙げると、こんな感じの会話です。

 

 

会話1

A「俺さーこの前バイトに遅刻しそうで大変だったんだよね」

友「俺もこの前遅刻しそうだったわ、夜更かししてゲームしてたのがいけなかったわ。」

 

会話2

A「俺この間旅行行ってきたんだよね」

友「旅行とか俺全然行ってないわ、最後に行ったの北海道くらいかなあ…。」

 

 

といった感じです。A君のことについてはほとんど何も触れず、自分のことを一方的に話していますよね。これも、話すことが目的となっているパターンです。

 

 

会話1では、「それは大変だったね」とか「どうしてそうなったの?」とか、A君の話を聞いてあげるのが適切なコミュニケーションです。

 

 

僕の周りにいるコミュ力が高い友達は、ここが完璧にできています。コミュ力が高い人は基本的に聞き上手なのです。

 

 

 

まとめ

 

無意識に会話が目的になってしまっている、これがコミュ障の特徴だと思います。もちろん、今は会話が目的なんだ、と自覚して話しているのであればそれはOKです。単純に仲が良い友達にこういう話をしたいってときはありますもんね。

 

 

問題は、無意識であるということです。皆さんも、無意識に自分本位の会話になってしまっていませんか?心当たりがあるのならば、次から意識してみましょう!

 

 

最後まで見てくれてありがとうございます。